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 <イカダ屋>
 1972年。 沖縄の石垣島にある川平湾では、ちょいと風変わりな若者が集まっていた。 4〜6人位だから集まると云う程でもないが、常時人が欠く事はなかった。
 湾の中には黒真珠が養殖されていて、所々太い竹を組んだイカダが浮かんでいた。 真珠を養殖するくらいの海は七色に変ると云われていて、実際、日が落ちる頃になると、明るいブルーからエメラルドに変っていった。


 それ程色変わりがはっきりしていたのは、砂地が珊瑚礁を細かく砕いて出来た砂なので、白地に澄んだ海水が陽に旨く溶け込み湾内に流れ込んでいるからである。
 水深は深いところで2m弱。 シュノーケリングで流すと、たこ・ひらめ・しゃこ貝と外す獲物はなかった。


 本当に小さい山と丘に囲まれたこじんまりした湾だが、珊瑚礁は色とりどり育っていて白地の砂に良く映えた。 丘に上がると夕方からイカ釣に時間を費やし、夜10時頃になるとヤシガニ獲りと1日の切れ目がない退屈しない島だった。


 1972年に沖縄が返還されたので、内地から来た者は皆ハジメテ組で、
「こんな綺麗な海、知らなかったー。」
口に出しても出さなくても、この海に浸るとなかなか抜け出せなかった。


 風変わりな若者達、今どうしているだろう。
 皆に共通しているのは生活の匂いがなく、少し愛想がなく違った癖はあるが、あくがなく、素っ気ない様で気を遣い、よく見るとお洒落。 
 そしてカッコよく云えば、同じ様な感性。 カッコ悪く云えばドロップアウト。


 あの当時、皆、日本丸について行けなかった。
 それでも日本人である以上何処かに身を置かなくてはならなかった。 そして流れ着いたのが石垣島。 けっこう話の合間に日本を語り世界を語り、文学・哲学何でもあり。 
 当然夜、星の砂の浜辺で天の川と対面していれば未来の話・宇宙の話と進んで来る。


 でも皆、気にしている事は、今みたいにフリーターと云う市民権もない時代だから、何処かで日本丸に乗り込まなければならない。 さりとて優秀な日本丸のクルーには、どうにも馴れそうにない。
 この気持ちが皆のしかかっていた。


 だから目の前に浮かぶイカダに乗るイカダ師。 いや、師と名乗ればそれで生活の糧を得ているのだから、立派な日本丸の乗組員となる。 
 強いて名を付ければイカダ屋。
 日本丸に繋留するイカダノーリ。


 メンバーの顔ぶれをみると、商社を退職した人・大学卒業後何もせず30になった人・静岡の茶屋問屋の後継。 
 何れも何らかの事情で家に居られなくなった、ヤッカイ者のハミダシ者の感がしないでもない。 だが、当時の新宿のフーテンや今のパッカーに当たる人は居なかったし来なかった。


 川平湾の民宿は小高い丘に1軒、海辺の近くにもう1軒、ここに長期滞在組は寝ぐらとしていた。
 夕食をとり終え日中の酷暑が薄れる頃になると、浜辺に女の子が口に紅をつけたりするからか、昼間と幾分雰囲気が変り闇に色と香りが漂った。
 砂を強く握るとキュッと耳元で音がする。 海はベタ凪で時折りバシャッと波の重なりが聞こえる。 


 夜空は天の川で埋り、なま暖かい風がマントバーニーの弦の織り成す旋律に旨く溶け合った。
 誰かが話をするとそこから色々の所に枝分かれする。
女の子がアメリカ人を語り、そこから芝居・車と語ったのを聞いて話は未来の車になった。


 当時、車の窓がボタンで開閉したりハンドルは柔らかくなり、オイル等の消耗品がパネルに表示されたりして車の使いこなしが変った時期だった。 


 映画では盛んにカーチェイスが流行った時期でもあった。 
 スティーブ・マックィーンの‘ブリット’‘ゲッタウェイ’ 
 スピルバークの‘激突’
 ノーマンスペンサー監督の‘バニシングポイント’
 ジーン・ハックマンの‘フレンチコネクション’
と続いた。


 いつだったか有楽町の日比谷映画館で最終回のブリットを見終った後、丸の内の一角に無断駐車した初代の車パブリカに乗って、興奮覚めやらぬ想いで品川の1国を爆走して行った。 
 どう見てもサンフランシスコ市街の坂道を爆走するマーキュリーやカマロ・ムスタングと違ってチンケな空冷のバルバル音。


 それでも構わずヤケクソ気味にアクセル踏みまくって無茶な運転をしトラックの前に割り込んだりしたものだから、次の信号で降りて来たトラックの運転手に胸ぐらをつかまれ青くなってしまったのを思い出す。


 「いずれ車はどこまでオートマ化されるだろうネー。」と語り合った。
結論は、
「脳機能とそれを探知するヘルメットを被っていれば、ドライバーは座っているだけで車が自動的に動いてくれるヨー。」
こんな車になるだろうと云う事になった。


 沖縄の直射日光は凄い、肌の中まで焼ける様になって真っ黒になる。 台風がまた凄い、身体が風圧で持ってかれ真っ直ぐ歩けない、又それを楽しんだりした。


 5年程経ってから再び同じ地を訪れたが、メンバーはすっかり様変りして、パッカーが出始めたハシリの人達や新宿のフーテンを想わせる人が占めていた。
 全部ではないが一様に口数が少なくどうも絡み合いが今一。
 あの美麗な面白い人達どこに行ったのだろう。
0.0001%の人達.......


 居ました! そこはインドのゴア。
 黙ってスーっと馴染める人達。
 今日は! ゴキゲンイカガ〜。 
 80年代迄はいつも居た、あの目眩めくゴアのパーティー、ブルークリスタル25。


 90年代に入ると潮が引いていく様に消えて行って、今ではハードな奴かコンビ二の匂いをぷんぷんさせた人達。 気持ちの何処かにツノが見える。
“インドだもん、ウッシッシ” というかもしれない。
 今、又、何処にいるのだろう。




 飛入 6/6 
短波ラジオを聞いていたら、
田中真紀子がイタリア・ドイツ・オーストラリアの外相と会談した際、
 “日本はアメリカの次期防衛ミサイル構想に当って賛成し、具体的に研究開発に参加するとして声明を出しているが、私個人としては、アメリカの開発に反対だし、日本が参加する必要も無い”
と語ったと云う。


 又、“日本の防衛は、戦後日米安保条約によって安全を保たれて来たが、今や世界2位の経済大国としての立場から、独立国としての立場から、安保条約そのものを検討する時期に来ている”
と語った。


 その会談内容を、外務省スタッフはポロッと外のニュースソースに流してしまった。 
 全く外務省は恥も外聞も一切気にせず、ただ一点田中真紀子を潰す、これのみを目的に幼稚な奸策を練っている。 こう見るのは、誰が見ても明らかだ。


 この外務省。 先日、秘密ナントカ費を末端の職員が秘密裏につまみ食いし、総額2〜3億円の金額を、競馬などに費やし逮捕された。 
 その後、外務大臣になった田中真紀子女史は、国民の前に事の顛末をつまびらかに公表するに当って外務省の幹部と渡り合った。
 ところが、幹部はことごとくその時点での領収書等、文書を封印、逃げを計った。 つまり件疑が幹部に及ぶ事を恐れた行為でしかない。
 こう見るのは、誰が見ても明らかだ。 


 25年前を思い出す。
イカダ族は語っていた。
「田中角栄を潰すな、彼は日本の財産だ。 彼の並外れた実行力・行動力を伴った政治家としての見識・力量は日本の財産だ。」と・・・。


 だが日本に帰って新聞を見ると全紙よってたかって彼は袋叩きの目に合い、挙句の果てに逮捕・監禁、最後は廃人に追い込まれた。
 日本の財産を日本人の手で、直接首を締めてしまった。 こんな馬鹿な事はない。
 愚かとしか云いようがない。


 これをジーーッと見て高笑いしている人がいる。
 ハンギングロープを投げた奴だ。
 こいつを我々は声を大にして喋りまくったのに、皆、斜めに見て聞いて帰って行った。


 今、不良債権問題で安全喫水線は遥かに沈みアップアップしてる。 
 この状況を生みだした元は誰なのか。
 聡明な論説・解説委員は今や知っているし皆知っている。
 又、問題が浮かび上がった後の事後処理のもたつき。
国民はハラハラしている。


 彼を大事にしていたならば今頃片付いている。
 このモタツキのモタツキを読めなかった彼等は今、苦笑している。
 彼等はウグウグウグと笑う。 
 こう見るのは誰が見ても明らかだ。  


 田中真紀子女史は父親譲り、政治家としての見識は高い。
 父親の良い所、難点を見て政治家として立った人。 今さらながら父親の偉大さを感じ入っている。
 この人程、若いのに人の裏表を見てしまった人はそういない。


 女史は知っている。
 アメリカ1国で世界はカバー仕切れない。 
 世界の警察官にしてしまうのは危険。 


 だからイタリア・オーストラリア・ドイツ外相と会談した時、彼女なりに日本のやり方で根回しをし、つまり世界第2位の国の政治家として、又、独立国の外務大臣として、国際政治・環境に対する考えを述べたに過ぎないのに・・・。
 全くかやの外の外務省の人達・幹部この状況を全く読めないし見えない、要するにノータリンなのだ。


    お宅んちのトイレットペーパーは
    POLOなのも知っている。 
    その上、金の成る木の下に、
    立派な馬が繋がれているのも知っている。
     ♪POPOLO POLO POLO 子馬とダンス♪ 
      POLOッとクソして寝ローー


 お宅等は売国奴。
 けなげな女史を外国に売ってどうするッツンダ、ツンダ! ツルンダーー。
 こう見るのは、誰が見ても明らか。 
都合4回云ってしまった。
 誰に云っているかは明らかだよネー。 
何回云えばワカルかな!ダメか! ダメなら浮上する方法が一つある。


 昔、外務省の女性職員を沖縄返還問題に絡んで、国家秘密露弊として血祭りに上げたが、それは結局自らの自爆行為であった事は、今や認識しているネ。
 自らの自縛行為に陥ったと認識しているネ。
 その自縄自縛から逃れられる絶好のチャンスが今、目の前にある。


“同じ外務省の秘密露弊を書きなさい徹底的に。”
彼等はこう云って来るから用心なさい。 
“これがつまびらかになったら、日本は潰れる。”
とネ!
 そしたらこう云ってあげなさい。
“潰れたっていいじゃないですか。潰してんのはアンタなんだから。”
これで押し切るのです。


 次にやる事は厚生省。
 例のHIVに絡んだ帝京大の阿部教授と厚生省幹部の線。
 この線は彼があのキンキラ声で逆に厚生省幹部を前にして、
“これがつまびらかになったら日本は潰れる”
と脅した結果に他ならない。
 ここも同じ事を云って来るので、外務省と同じやり方でいいのです。


 これも終ったら、最後にもう一仕事あるのです。
 大蔵省と銀行のもたれ合い。
 ここが一番危ないから気をつける事。 情報は総会屋から得る。 蛇の道はヘビ、見返りに家を一軒建ててやる。
 それとやくざから情報を得る。 彼等、元をただせば亜流の国士。 きちんと姿勢を正して話せばわかる。
お金は一銭も掛らない。


 この二つの情報をもとに大蔵省幹部に乗り込むのです。
 彼等は声を大にして云って来る。
“潰すのか”と・・・。
その時それ以上の声を大にして云い返しなさい。
“ツブしてんのはアンタだ”と。


 注意事項は一つ。
 彼等と食事をしてはいけません。
 彼等は毎日国会食堂の片隅で、特大の大盛りザルソバをたった一つ注文するのです。 誰が食べるかは云うまでもない、仲良しクラブのメンバー、外務省・厚生省・大蔵省の御歴々。


 食べ方を見ていると面白いですヨ。 
 サッとお箸で麺を挟むと、サッと口に引き寄せ、ツルツルっと飲み込む。 たまに挟んだ麺が絡み合っても、互いにツルツルと飲み込み合って笑ってる。 
 合言葉は、“オイシイネ、ツルミソバちゅうのは。”
 彼等ザル頭に付けたネーミングは麺猿
 一緒に食べてはダメですゾ。


 見渡せば、あちらこちらで仲良しクラブのツルツルーと食べる音が響いてくる。 
 この状況、鶴の一声を発しているのは誰が見ても明らか。 
 今、田中真紀子はたった一人で、魑魅魍魎の扉を開けてしまった!




 頭の並びを右9個進めて、
30世紀の学校の歴史の教科書に19・20・21個のあたりは、どんな風に位置付けられているのか興味がある。
 その頃の教科書は本に変って、記憶の細胞を直接脳に植え付けられるか、食べ物として消化するか、注射として体内に送り込まれるか、想像を脱し得ないがとにかく興味を引く。


 その教科書にはこう書いてある。
 19・20は暗黒時代・最悪時代。
 何でもよい、この様に記されている事は間違いない。
 石器時代・青銅器・鉄器を経て、石炭器・石油器・原子力器・ソーラー器時代。 特に石油であるガソリンの20個目は未完成の未発達の脳の極み。
 こんな感じで結論づけされている。


 そらその教科書を作った人は毎日毎日人工酸素で過ごし、息絶え絶えに作ったかも知れない。 
 その原因は特に20個目にあるのだから、恨みつらみ込めて作られても仕方がない。


 21個目の教科書の中に、既にその時代のエネルギーで時代区分してあるのだから、30個目でも同じと考える。
 すると21個目のエネルギーの位置付けは何になっているのか。
 今のところ前世紀を引きずって、原子力と共にガソリンをふんだんに使っているが、このまま21世紀も石油が主役の座をせめるのか。


 旨く持って行けば、21個目は含まれないかも知れない。 だから今端境期。 ギッタン、バッタン、どっちに脳を乗せるか我々次第。
 何れにしても20世紀はノータリンの見本として扱いを受ける事は間違いない。


 子供の頃、ほんのちょっと前まで郊外に流れる山からの水はおそらく何処でも飲めたのだ。
 それが今では水を買う時代になってしまった。 こんなおかしな事はない。 
 俺はこの先も、水道の生水をずーっと飲み続けるかんナ。  


 教科書と云えば又、中国・韓国がプリプリ云っている。
 最近、新聞を詳しく目を通さないので、両国が日本の歴史のどの時代を指して反発を招いているのか知らない。
 だが、19世紀から20世紀半ば迄の、我が国の歴史認識に訂正を求めているのなら、その反発の内容を読まなくても、おおむね両国の姿勢は読み取れる。


 それはあの時代、両国とも手を延ばせば歴史を紐解ける近さの歴史を、出来る事なら目をつぶって払拭したい程の結果を、踏まえて来てしまった事にある。 
 それは当然ながら我が国も含めての結果であるが、少なくても日本に於いては、結果としての現実を払拭したく姿勢をとる必要は全くない。


 今世紀中頃には日本が取った行動は、同じ色素のエリアとして当然の行動と固まっている事は自明の理。
 問題は無いと信じたい。


 中国は大国。
 多少赤い国旗が変色してきているが、とにかく大国。
長い歴史の中、国内外で戦争を繰り返して来たから、最後の戦いに於いても戦争とはこう云うものと我が国に賠償を放棄した。 
 そこに我々は敬意を払うし一目置かざるを得ない。 我々はこの気持ちを持ち続けるし、中国は大国を持ち続けて欲しい。 


 韓国は漢字圏から逸脱を計ったのか、ピタッと中国に背を向けハングルに統一してしまった。
 大胆な事をする。
 地理的に表裏一体、長きに渡って漢字文化を共有してきたにも関わらず、何処か肌が合わなかったのだろう。 少し時間を掛けてハングル次世代を静視するしかない。


 先日テレビの討論番組を見ていたら、韓国のコメンテーターが、
「日清・日露戦争は、儲かるからやったんだ。」
と、あの時代の状況を述べていたが、5〜6人の日本人コメンテーターは呆気に取られて眺めていた。


 こういう発言をするのもハングル次世代への端境期なのだろうが、韓国もあの時期、朝清・朝露戦争を国を挙げてやろうとすれば出来た国際情勢だった。
 勝敗は別として国威の為にもやれば良かったのだ。 そして、もし勝って戦勝国として歴史を通過したなら、日本は今日に於ける様な韓国の姿勢はまず取らない。 と云うより民族的に出来ない。


 この様な発言が波及してくると、留まる事を知らず、それを眺め続けると云う訳にもいかない。
 最後は、ヒロシマ・ナガサキざまーみろと笑われ、年配から
“イエローヤンキー”と浴びせられる。 


 実際にインドネシアのバリで云われた。 
 レギャンストリートの土産物屋が切れると先は砂浜。 その土産物屋は日本の本を売り並べていた。 私は暫く選んでいたが買わなかった。


 すると若いニイチャン、私の身体のまわりを両手を半ば広げて2回転。 
“ヒロシマ、ドーン。 ナガサキ、ドーン。” 
舞ったのである。 
 無視して行こうと想ったら、“イエローヤンキー”の声が、本の配列の左から聞こえてきた。


 60過ぎに見えたその男に、
「YELLOW YANKEE? WHAT MEAN? I DON'T KNOW!」
この時点でこのオジサン、英語通じないのが解った。 と同時にインドネシア人が私を囲む様に集まって、変な空気に変りそうになった。


 誰とは無し彼等に、
「I KNOW THIS COUNTRY SITUATION. 
ABOUT 4 HUNDRED YEARS AGO COMING HOLLANDER.
BUT THEY ARE NOT BRING EVERYTHING. ONLY TAKE FROM THIS COUNTRY.」


近くの土産物屋の30位の女性が私を見据えている。
「1944-5, MY COUNTRY ARMY COMING. 
AND YOUR COUNTRY PRESIDENT SKARNO
HIS ARMY WITH MY COUNTRY ARMY TOGETHER ATTACK TO HOLLAND. 
GO OUT! GET OUT! 
AFTER,WE ARE WINNER 1945 AND NOW ・・・・」
こんな風に捲くし立てたのだが、15人程の人垣に3〜4人同調気味にうなずいていた様に見えたが、とりあえず変な空気は払拭した。


 同じ時期のバリ。
 今度は本当に白人と喧嘩になりそうになった話。
レギャンストリートと平行に走る海岸線の道路を朝9時頃、レンタルジープでレストランに向かっていた。
この海岸沿いのレストランの並びには、1日遅れの新聞他、週刊誌等、バイトを兼ねたビーチボーイが売りに来る。


 私は日に焼けて身体は黒いが紫外線に弱く、濃いサングラスを被りスピードを上げた。
 一直線の道だが、前方から5tトラックが、右・左、定まらず中央線を走って来る。
 向こうも私を認めれば左に寄るだろうと、そのまま運転していったが、対向車は最後まで定まらず、私はとっさに海辺に並ぶレストランの前に少し乗り上げた。


 1分も経たない。 すぐにレストランのオーナー風の白人男性が足早に運転席の私の前に立ったと思ったら、ベラベラと短く現地語を喋り問答無用とばかりに、太めの腕の手の平を振り降ろして来た。 
 反射的に顔を引いたので空を切ったが、それ程の事を俺はしたかと一瞬考えた。


 既に相手は背を向けて歩いてる。
ガキッと、俺は切れた。 
WAIT!」 こういう時の俺の声はデカイ。
 相手は止った。 現地の人に、こいつらこう云う態度姿勢でいるんだ許さねえ!


 ジープから降りサングラスを投げ入れると、両拳のまま相手の鼻面に立った。
「I'm Japanese.  And You?」
別に名乗らなくても済むのだが、古くからの日本のしきたりがそうさせる。
 これから先はつまらないから云わない。 喧嘩になりそうだと最初に断わった。


 とにかく無事。 並びのレストランで朝食を終え新聞を読み終った。
 すると若い日本人が前の柵越しにやって来て、頭も下げずに笑顔も見せずに、
「新聞読みました?」 
何だかハッキリしないが、要求して来た。
「あっ、いいよ。」 
と渡してやると、又はっきりしない。 立ちさるでもなし突っ立ってる。
「やるよ!」 と云うと、無言無顔で立ち去った。


 何だかせこい奴。
 ちょっとでも目礼でもすれば済むのに、それが出来ない。
 新聞なんか安いんだから自分で買えってんだセコイ奴! ベラボウに高い日刊誌買えってんだ、セコイヤツ! 話は変な風に流れている。




 もともと日本人の身体の中に、他国を侵略するとする思想は無い。
 -他国を侵略- この言葉自体、文明と共に入ってきた言葉である。 
 日本は島国、領土拡張の概念すら無い、どうやって海を押広げよう。


 1945年から56年経ったにも関わらず、
-日本の侵略戦争- 
内外の口々からこの言葉が出る度に、日本は沈黙ないし肯定の言葉が背を丸めて言及する。


 主に中国・韓国から先の大戦の歴史認識を指摘してくるが、何処の国だって、歴史認識は国の成長発展に伴って、自国風に大なり小なり転回するのは当り前の事であって、逆に日本から見て中国・韓国の先の大戦はどの様に書かれているのか、我々は少しも知らされていない。


 恐らくびっくりする程、見解の相違があるのではないか。 もしそれが事実で、それを以って対抗出来ないのなら、我々の見解の統一が固まってない事であろう。
 そもそもわが国が戦後の焼け野原そのままのGNP最貧国なら、どの様に自国風に認識してもはばからない事は、欧米を含めた各国が黙認するに足り得た事実として認識している。


 今や日本のバブル崩壊現象。 
 数年前のタイバーツ切り下げから、東アジア全土に拡がった通貨崩壊現象。 結果だけ見ればわかる事ではないか。
 両国とも、今度は経済絡みで、我々が踏まされてきた同じテツを踏みつつある事を知っているのだろうか。 


 あと10年もすると、先の大戦を肌で体感している人々、歴史の生き証人は消滅する。
 日本兵が亜細亜・インド洋・太平洋でどのように戦い、戦場になった市街・僻地・ジャングル・海で、日本兵はその土地の人々にどのように見られ敗れていったのか。 既に日清・日露戦争を肉声で語ってくれる人はいない。


 それと日本は何かとその後の戦争も含めて好戦国と見られて来た。 残された世代が背を丸めたまま、この先、通過する事は出来ない。
 提案だが、
最先端のコンピューターを使って、19世紀の半ば頃から1945年迄の戦渦をシュミレーション画像し、世界地図の上に重ねて、各国の思惑とする戦況を納得するまで塗りかぶせてみたらいい。
 そして日本の置かれた立場と外した立場、両方を想定し吟味してみたらどうだろう。


 外した立場とは、日本丸を太平洋の戦場外に曳航させるのである。 そしてアジアの国々と欧米の国々の、人的及び機械的戦力をすべて点数制とする。
 欧米は装備に加えて、アジア各国に対する欧米各国の植民地支配欲の度合の強さも点数とし、難しい所だが、それぞれ独立国の国を守るという戦意・気概も点数とする。


 機械的戦力は、戦艦・戦闘機・レーダー・タンク・小銃・ピストルに至る迄あらゆる軍装備の性能をインプットして、再戦シュミレーションを日を追ってやってみればいい。


 NHKあたりが時間制限無しにやれないものか・・・。 
 スタッフは日本から、中曽根康弘。 
 各国から各々歴史の生き証人、リークワンユー。
 欧米各国にも出来るだけ参加してもらう。 
 皆さん御高齢故、コンピューター操るのは難儀ですから、ボタン押せば各々自国の戦況が国力に応じてシュミレートされる仕組にして、思う存分喋って舌戦して頂く。


 中曽根氏が、日本は不沈艦なのだから外せる筈がない、とクレームが来るかも知れない。
 そこは、日本は島国だから外せるのであって、もし日本が無国であったらどのような結果になっていたかという仮想現実ですと、懇々と諭すと同時に不沈艦は禁句ですぞと、クギを射しとく。


 概略は日本の侵略戦争のみに絞るのではなく、その過程で南京大虐殺・慰安婦問題も絡ませて、総て後に引きずる様な案件は満身創痍になる覚悟でさらけ出した方がいい。


 日本人のある年齢以上は、-敗軍の将ただ黙するのみ- 。
 あなた方に通ずる美意識で過ごされるが、その姿勢を貫かれて没されると続く世代は立場がなく、さりとて座り続けるのもどうかと如何ともし難い心境に陥る。
 NHK勇気があるかな。 
 先日アメリカとベトナム、マクナマラとホーチミン派が、敗戦国アメリカでベトナム戦争を取り上げたではないか。


 1945年以降日本丸を南太平洋の何処かに繋留し、何も作らずに観光産業のみに従事した国としたならば、世界の世相はどの様になっているだろう。
 アメリカのスペースシャトルやステルスは飛んでいたろうか。
 英仏を繋ぐユーロトンネルは開通してるだろうか。 
 東アジア・オーストラリアはどんな環境になっているだろうか。


 あらゆるコンピューター部門に日本が参加してなかったら、重化学・重軽工業、百円ライター、医療、漁業、どうなっていたろう。
 日常生活に於ける車、こんなに安くクリーンな車、普及してるだろうか。
 カメラ・ビデオ・オーディオ・複写機器等、美味しい果物、インスタントラーメンに至る迄。


 以上は現代の夢想だが、過去を見てみると実際日本丸が動いた時期が2回あった。 
 最初は遣隋使の時と、次は遣欧の時である。 
 いずれも巨大木造船で意を決して出航していったが、水漏れはしなかった。


 そのおぼつかない大きな船にも、既に大きな赤い丸印が船首の部分に印されていた。
 それと操舵室の屋根の上にも高いのぼりが立てられ、
白地に赤丸印の旗が風に張られていた。
 考えてみると、小さな漁村や名も無い浜辺につながれている4mたらずの小船にも、何々丸と必ず丸の字が書かれている。


 この丸の意味する所、日本丸の丸は何なのか。
 舟の大小に関わらず丸がついているのは、国旗の日の丸あそこから来ているのか。
 日の丸の日は太陽となると、
日出ずる国の天子〜〜〜〜つつがなきや・・・
 あの日の頃から丸を指しているのであればかなり古い事になる。


 しかしあの国書なんともカッコイイ文体ではないか。
全体に雄大、詩的な雰囲気が漂う。
 又、つつがなきや・・これも又、素晴しい。
 国同志はこの関係でないといけない。


 こんな思慮深い言葉と優美な国際感覚を伴った文章、誰が作ったのであろう。
 日本の歴史の中でこんなに優れた外交文書は無いであろう。 それが大昔である所に、笑ってはいけないのだが今を顧みると笑わざるを得ない。
 つつがなきやは、互いの国の自尊・自立を認め合い、互いに対等・尊重・尊敬を伴って自認し合おうではないかと、こう解釈する。


 今我が国を動かしている人達、
少し大昔の先人の知恵と勇気を煎じて反対の海洋に送り出したらいい。
“日の没する国より日の出ずる国へつつがなきや”  


 今から130年程前、
頭の数にして左に1個半にも満たない人々が、むかーし中国に差し出した国書と同じ文面を持って再び日の没する国に向かって木造の巨船日本丸を西に向かわせた。 
 西もずーっと西、地球の反対側ヨーロッパにである。


 日本丸の艦橋に船長は立ち、
ヨーロッパ各国に、日出ずる国より〜〜〜〜、と宣言し、廻りを一巡するが如きイギリス・フランス・ドイツ・イタリアと見渡した。


 日本になくて、ヨーロッパにある物は何か。 
 先ずイギリスの蒸気機関車が目についた。 他、政治・経済・文化・教育・芸術と摂取するものは出来るだけ積み込む予定でいた。
 しかし、よーく見ると上記の物は蒸気機関車を外して、皆日本にある物ばかりだった。 芸術に至っては、逆に日本の版画の構図がいつのまにか取り入れられてるではないか。


 艦長は身を引き締めてよーく見た。 すると政治と法律と教育が目についた。
 これは立派な箱に納められていて蓋にはこう記されていた。 
[この蓋を開けて中に入ってはならない。]
つまり、手を触れてはならないと、こう理解した艦長は何となく威光するその箱を日本丸に積んどいた。


 他に軍装備、これも近代戦に備えて購入しといた。
 他めぼしい物、道を照らす街灯とか細々とした雑貨類を購入し、急いで帰路に着いた。
 何しろ本国は母船が抜けた抜け殻状態。 新しく取り入れた綱鉄製の船体と、動力エンジンをフル回転して帰路東に向かった。


 アフリカのケープタウンを巡ってインド洋に入ってから風雲波高し。
 ユーラシア大陸の最東端の我が国一帯にかけて、欧米列強の戦艦が、植民地としてアジア各国をブン取ろうと、帝国主義の旗を掲げて牽制し合っていた。
 旗艦日本丸は日の丸を掲げてひしめき合う列強の戦艦の群れの中を静かに曳航してきた。


 やがて列島の上に被さると長ーい身をくねらせながら、
 ズズズシーーン・・ズズズ怒シーーン ピタリと納まった。
 そして買ってきた最新鋭の戦艦をすぐ日本海に浮かべると、封を切ったばかりのその主砲を強引に南下してくるロシア艦隊に向けた事は云うまでもない。


 そして50年。
 日本はアジアで一心不乱走り巡った挙句、アジアから白い戦艦は一掃したものの、最後は背中の太平洋より飛んで来た巨砲2発を受け、終った。
 その砲弾の炸裂は、
アジアで日本海軍に轟沈された数々の白い戦艦の主砲を束ねた、途方もない実弾だった。


 そして更に50年。
 新たに民族の手で舟も建造し、主砲の座には砲身に変って経済復興が取って変った。
 日本人は働いた、猛烈に働いた。 驚くなかれ50年後、日本丸の船腹には全ヨーロッパの経済活動をひと飲みしてしまうほど力をつけてしまった。 


 ちょうど130年程前、木造の日本丸がつつがなきやと地中海・北海の欧州を巡視・巡回してからの航跡である。
 その結果20世紀まで大変な紆余曲折の荒波を乗り越えて来たが、ここに来てどうも船自体が老朽化したのか軋みが出ている様である。
 船そのものと同時に、クルーが浮き足立ってここ10年苛立ちはじめている。 


 今度は大反対を無視して列島をピッタシ大陸にひっつけてしまおう。
 ズッシーン、ド、ド、ド、怒ッピーンシャン 
 さらばー島国! 
 ヌケターラドンドコショ !!
 朝鮮半島の下に北海道を入れ、中国の上海あたりに本州を這わせ、九州・沖縄を南シナ海の南砂諸島あたりにピタリとつけ、台湾は本州と重なるので相談の上、朝鮮半島の中に入ってもらうか小笠原諸島の手前に浮かんでもらう。
   ・・・・・・・・・・暫く沈黙・・・・・・。


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