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 <ムアンシン>
 ラオスと中国の国境地帯にある、人口1000人にも満たないなだらかな山に囲まれた、10k四方の田舎ムアンシン。
 ここは何もないところ、ぐるーと山が見えて、畑が見えて、真ん中に巾5m程の緩やかな川が流れている。 変わってる事と云ったら、此処に来る少数民族の女性が、胸をはだけた衣類をまとっている事だ。


 朝6時すぎ、人通りのまばらな巾広い通りの外れにあるゲストハウスから、 椅子を庭に持ち出し、自分で入れたブラックコーヒーを外に面した柵の木の上に乗せ、朝が始まった。 


 ここから10kも離れたモン族の女性が、背中に大きな竹で編んだ丸篭を背負いながら、採れたての細い竹の子を売りに来る。
 しなびた胸をはだけたオバサンは、通り沿いの民家から声が掛かると、頭の額から吊した丸篭を外して、竹の子を地べたに並べる。 


 今朝、ネズミと思われる生きてる小動物を、数匹ぶらさげて来た老婆が、竹の子と一緒にそれを並べているので見に行った。 大きいネズミは体長20cm足らず、尻尾が10cm程。 残り3匹は半分ほどの大きさで親子の様だ。
 毛の色は薄黒で顔が丸く、一見コアラの様なつぶらな目付きをしている。 耳が変っていて、上に開いていて奥迄よく見える。
 手の平で子供を握ってみると、柔らかい産毛がイヤイヤしている。


 動物。 およそ犬猫の類が身近に居なかったら旅は出来ないだろう。 ここは往来する車も少ないせいか、親離れした子豚が2匹、土道の真ん中でジャレ合っている。 豚とアヒルが一番のんびりしていて、犬は少々、皆仲良くやっている。 猫は全く見無い。 
 動物。 種としての人類、種としての日本人。 生き物は環境さえ整えば地域を問わず、何れの地においても発生すると考える。


 節分の時、寺の境内に作られた花道から、撒かれる豆は均等で、一箇所だけでばら撒かれた、なんてことは断じてない。 そして生命力の強かった種が 地球上に散らばったと見る。
 従って大陸の東に位置する 海に囲まれた日本列島には、 何処の民族とも混ざらぬ 純血種の和人とアイヌが生き延び育ったと想える。


 人の種としての起源は400万年と云われる。 その間、列島は大陸と繋がったり離れたりしたろうが、2つの種族は400万年前よりずうっと住み続けた日本人種である。
 そして、数万年前より南方と北方より渡ってきた僅かな人々と混ざり合ったが、 大部分和人・アイヌ人が占めていて現在に至った。 


 アイヌ人は2000年前あたりから北に移動し、北海道から樺太にかけて主な本拠地となった。
 又、和人は列島にとどまるだけでなく、かなり前、新天地を求めて出て行く日本人もいて、 それはペルーのマチュピチュ、クスコで見た現地の人々でもあった。 


 それは遺伝子を並べ比べてみると、99%以上同じだそうだ。 彼等と接触してみると、彼等の創った精巧な石造りの都と、我々の造る全国にある築城等に見られる精巧な石組みの技術は、同じ手を通して通じ合えるし、顔や身体の動作、気持ちの交わし方等を見ていると、何か身近な不思議な納得が得られる。 


 博物館に行ってみる。
 どこの国に行っても、概ねガラスケースの中に、石膏で出来た人の頭部、現代人・旧人・原人・猿人と並んでいる。 
 人の居ない暗い部屋で、ライトに照らされる人のマスクを見ていると、重なる様に様々な地で接した猿の顔が浮かび上がる。 気になる事は並んだ石膏頭部を見比べて見ると、最後の現代人になって初めて額が飛び出てくる。 ここの所がずうっと気になっていた。


 約15万年の経過を経た現代人の頭部で何が起こったのか。 猿の額は飛び出ていない。 従ってその分、人の方が頭が良いかと云うとそんな事は無い。 猿に限らず他の動物・昆虫に至る迄、こちらがびっくりする程感心する事がある。 


 恐らく動物を飼育する人などは、どんな動物に接触しても敬意に感じていると思うが。 人以外の生き物は、生きる上でその生活圏内では可能な限りの知能を使っている。 その生態は、人以上に優れた機能を使っているのではないかと感じる事が多々ある。


 タイのコパンガン島のハドリンビーチは、
以前レストランが3つしかなく、何日も観光客が来ない様な所だった。 
 ビーチの真ん中のレストランには、椰子の木に繋がれた猿がいた。 私も話し相手が居なかったから、必然その前を通ったり食事を取る時はその猿に声を掛けていた。 猿は近づくと警戒して、長さ3Mばかりの鎖の範囲を守っていた。


 ある日、噛まれてもいいと思いきって3Mの淵の所に入って、アグラを組んで座り込んだ。
 相手の警戒心を無視して海を眺めたり、そびえる椰子の実を見上げて見てたりしていると、ストンと、アグラの中に入って来て座った。 猿も退屈していたのだ。 それから仲良くなって、互いに毛づくろいしたりして何日か過ごした。


 ある日いつもの様にアグラを組んでいると、猿が中腰に対座してしきりとキーキー声を発して、私の足の左親指の側面を指差している。
 見たところ別に何も無いし異常も感じないから、私は気にも止めずいつもの様に接していたが、その日はしつこく私の顔を見つめ、足の親指と交互に手と頭を動かしていた。


 そして夜になってから親指のジュクジュクが始まった。 お猿さんが指差し教えてくれた辺り3ヵ所、直径2mm程のジュクジュクが皮下奥に向かって浸食されていく。 変なのは痛みが伴わない。 傷口の周りは侵されなくて、組織の中に垂直に穴が開いていく。 血が薄く混じった半透明な液が垂れ続け、5日も過ぎると膿に変って少し落ち着いた。


 傷口周辺の血管は黒くなり、1週間後には股の横根も幾分腫れている。 病院は舟に乗ってスラタニ迄行かなくてはならぬので、手持ちの薬と身体の抗体で何とか治したが、穴の跡は今も残っている。
 振り返ればあの猿の行為は“異常事態発生” と知らせてくれたに違いない。 当時裸足で過ごしていたから、目に見えない病原菌が足に付いていたのに違いない。


 こんな体験をすると、猿が人より劣っているなど到底考えられない。 即ち、猿の方に人の知覚能力なぞ、比較にならぬ程の優れた察知能力があるのだろう。
 犬や猫飼っている人、動物園の人、事態は違っても同じ様な経験をした人、 沢山いると思う。 


 猿と額の出た人。 
 いずれも生活するに環境は異なるが、 生存する上で脳の機能の働きは同じと思えてならない。 気になる額の部分。 この容積の中に脳の機能の何が詰まっているのだろう。 


 今迄の人の脳の上に額の脳が積み重なったのか。 それとも今迄備わった脳機能を縮小、或いは何処かの機能を削減して額の脳が積み重なったのか、それとも、いきなり飛出頭部の人が出現したのか。 どちらだろう。
 又、仮に縮小 ・ 削減の上に積み重なったとするなら、足の親指のウィルスが見えなかった事に通ずるのだろう。


 あの時点での猿は、人の目には見えないウィルスの生態を理解した上で、人に警戒警報を発している。
 同じ行為を人がやったら、その人は俗に云う所の超能力者になって、世間一般とはかなりかけ離れた人になってしまう。 しかし縮小 ・ 削減の進化を辿らなくて、今迄の進化の上に額が継ぎ足されたのなら、人は総て超能力者になっていてもおかしくない事になる。
 だから人は、縮小 ・ 削減の道を歩んだと見るのが妥当だろう。


 つまり、人は超能力と云われる脳機能が400万年かけて退化した、寂しい人種と云える。
その寂しい種としての人を、まわりの生き物たちはどんな風に見ていたのでしょう。 
 猿や雉・犬達は、桃太郎をどんな風に見ていらしたのでしょう、、。


 1995年か6年のインドのゴア。 
 ここのアンジュナビーチに、5年もパスポートも無く定職も無く、生き延びている40過ぎの日本人が居る。
 私には無い強さたくましさを備えたところに、ウマが合ったのかも知れない。 彼と深夜、海岸から少し奥まった、一面見渡せる乾期の畑の切れ目にある、自称レストラン、ハット≠ナ話し込んだ。 


 テーブルの上には、たばこの箱の切れ端や、マッチ棒等が散らばっている。 話を切り出した。 
「水って、俺達漫然と飲んでいるけど、これ可笑しいんだぜ。 お前が飲んだ水の味は俺が解らないし、俺が飲んだ水の味はお前が解らない。 これ変だと思わないか? だけど俺もお前も水は知っている。 変だよなア」


 彼は何を云い出したのかと、ギロッと俺の顔を覗き込んだ。 
「このコーヒーは俺は知っていても、お前は解らないって事だよ。」
「何云うてんネン。」
と話に乗って来なくて、そっぽを向いている。
「このたばこ、中毒だからイヤイヤ吸っているのを、お前は解らないって事だよ。」
「それは知ってる。 前から知ってるデ。」


 私は席を外して、壊れかかったラジカセに好みのテープを入れると、PLAY ボタンを押した。 馴染みになった、とぐろを巻いた野良犬を踏まない様、そっと足を組んで座った。
「あのなアー、大昔の人、その人達は河や海に入って、ずうっと水と馴染んで来た。 何でもいい、雨でもションベンでもいい。 どうしても、言葉が必要になって、<水>って名前付けた。 そして、水!って叫んだら、相手はお前みたいな顔をしたんだよ。 キョトンと」


 奴は、腰を浮かし始めた。
「ちょっと待てよ、これ餓鬼の頃からずうっと変だ変だと想って来た事を、今お前に話してんだから聞けよ。」
奴は、チョコレートをほぐし始めた。 


「砂漠の民が、水が切れてカラカラの喉になった。 一人が喉を押えて苦し紛れに、水!っと口走った。 他の民は黙って歩き続けた。 砂丘の波は、果てしなく続いている。 歩く足もおぼつかなくなって、再び、水! っと叫んだ。 仲間が彼に肩を貸して黙々と歩いて行く。 そんな時、目の前に満々と水をたたえたオアシスが現れた。 走った、最後の力を振り絞って水面に身体をほうり投げた。 暫く存分に水を味わった。 そして民が又、水! ってつぶやいた。 仲間も、水! って云い始めた。 それまで声帯を感情の発散、ガオー ぎゃおー 奇声に使うのでなく、声帯から出る声を、欲する物に使ったんだよ。」


 奴が固めに巻いたジョイントに火をつけている。 太い煙を長く吐き出すと、
「スイブン、スイブンが欲しいなナー。」
と云いながら回してきた。
「スイブンの話しやナ?」
奴のタカリは天下一品。
「皆が存分に水に浸って、 水の言葉の意味が解って来たんだヨ。 水!水!って叫び合ってから、ポカーンとする者、睨み合う者、怒る者、真面目な顔をする者。 そして皆見つめ合った。 真剣に見つめ合った。 それまで名詞 ・ 固有名詞、言葉自体が無かったところに、
いきなり皆で水を味わったと同時に、言葉としての名詞、水を理解した。 だけど、それぞれ水はそこで解ったけれども、お互いどう味わっているのか、わからないし伝えようがない。 だから面喰らってしまったんだ。 ワカルカ?」


「・・・。」   
奴は器用にフィルターを引き伸ばして、最後の一服を味わっている。
「解り易く云やー、俺もお前も女を抱くだろ。 相手が行った世界は、絶対解らないって事だよ、、、、、
どうやって確認するんだよ。 もう寝る。 オヤスミー。」
「そやなー、何処へ行ったんやろう。」


 足元の耳の立った機敏な野良犬も、小走りに、真っ暗な闇に向かって消えていった。 奴等は夜、やることがいっぱいあるのだ。 
 ハットの横の粗末な平屋の角部屋のベットは、マットの綿が片寄っていて寝心地悪いが、甘い気だるさ、香りが残っているせいか、スーと眠りに入った。


 早朝、小さな鉄格子に掛っている窓のカーテンを手繰って声がした。 奴は朝が早い。
「起きてるカー? あの話、解った。 ワカッタデー」
と小さい声で話して来た。
 こっちは眠いし無視して又、寝込んだ。




 以前、 ワゴン車に乗って屋久島で1週間過ごした事がある。
 この島はとても豊かで、やり方によっては県内随一の、富に溢れた島になる事は間違いない。 海との境界に温泉は湧き出るし、屋久杉の生息する高い山から平地迄、気候の変化に富んでいて飽きさせない。
 ここが世界遺産に登録された時、全島が含まれていると思ったら山の一部だった。


 島の隅々迄、車を乗り回していたら、観光地図には載っていない林道を走っていた。
 戻ってから、島のお年寄りに聞いたら、杉を山から運び出すのに使われたトロッコ道との事だった。 この道はその後、レールが取り払われて細い人道、車道となったのだ。


 さほど広くない道の真ん中に2本、所々レールに沿った台座であったのであろう、細いコンクリートが敷かれていて、それを外すと深く凹む所もあって、車輪が落ちたらまず走行不能間違いない。
 もう日が暮れて来る頃だし明日にしようかとも思ったが、長めの車体の後輪が旨く乗ってくれるのを、賭ける気持ちで登って行った。


 クマゼミの鳴き声が大きい。 上に行く程、木は生い茂り、中には土手に挟まれその上に木が覆い被さって、小さなトンネルみたいになっている所もある。 尾根に沿った急な角を何回か曲がると視界が開き、めずらしく、まっすぐな道が150Mほど尾根沿いに伸びていて、その先に立派な鹿が立っていた。 鹿は車を見ると、近づくのを計らって、下りの急な斜面の森林にゆっくり悠然と入って行った。


 車の速度は遅いが、かなりの高さ迄登って来た気がする。 ひっくり返され放置された杉の巨木の根っこを道端に5〜6個見ながら、さらに幾筋か登り、通り過ぎると急にハゲ山のようになって、一本杉の大木がスックと立っている所に出た。 そこを基点にゆるい上りのカーブをすぎると、すぐUターン可能な空き地になっている。どうやら終点の様だ。


 舗装もされてない空き地には、切り株や細々とした材木が、所狭しとうず高く野積みしてある。 そこから更に一段高い小さなスペースがあって、そこに作業員の詰所と思われるプレハブがある。
 誰も見かけないところをみると作業は終ったようだ。


 そこから先は切断された杉の大木が尾根沿いに、それこそ山積みにされていて奥が見通せない。 その先どうなっているんだろうと、不安定な太い丸太の上を跨ぎ跨ぎ100M程進んでみたが、疲れたし天気も不安定だし、見たところ同じように先行きが曲がっていたので途中で引き返した。


 尾根と尾根にはワイヤーがピンと張られていて、ここは大木を運ぶ中継地のようだ。 雨がパラッと落ちて来た。 日も落ちてセミも鳴いていない。 山の変り目は早いから帰ろうと車に向かった。
 どうしよう、ここで一泊しちゃおうかと迷いながら、すぐ下の尾根沿いに車を停め、辺りを一巡した。 ここで朝を迎えたら気持ちいいだろうと想いながら車から出て、一本杉の隣に立った。


 雨も止んで、混じり気のない大気が鼻をかすめている。 向かいの尾根は濃い緑に包まれて、森の中は暗く見通せない。 尾根と尾根を合わされたV字形の谷が、急角度で下に落ちている。 そこに冷暖混ざった湿った風が、薄い白い小さな海よりの雲を交えて、絡むように抜けて行く。 


 視線より幾分下の対する尾根では、濃い緑をねぐらとするクマゼミの群れが、雲の流れに合わせてグワーとぶ厚く鳴いてすぐ尻切れた。  
 明るい時、聞き馴れた騒々しい鳴き声と違って、柔らかくゆらぐ様に鳴き昇って行くのは、遠ぅく海洋よりの、何かの便りに感応している様にも想えて、耳を澄ましているのだがよくわからない。




 水! と叫んだのは・・・・いつ頃だろうか。
 100万年200万年経った頃だろうか。 何しろ人が十数万年の経過しか辿ってないので、想像のその又向こうの想像の域を越えていて、考えが届かない。
 しっかりとした発音を伴わない迄も、ヤモリのあの小さな身体からも、クワクワッと大きな雄叫びを上げるのだから、骨格的に原人として大きな声が出て当然であろう。


 原人の前に猿人がいる。 原人の後に旧人ネアンデルタール人がいる。 ここ迄の祖先の人々は、物凄くいたわりあい支えあい、色っぽい人であったと思われて仕方が無い。
 一歩一歩機能の退化が始まり、仲間の削減と共に寂しさと思いやりが同時進行して行く。


 光や水・風が読めなくなって行き、今まで仲間だった異種の生き物とも、離れて行くのが重なった。
 泳いでも、木に登っても、穴蔵にもぐっても、魚や猿・昆虫に相手にされなくなって行く孤独が始まった。
 だから、水と云う言葉から始まって、話すと云う行為を嫌ったに違いない。 しかし離れ離れになればなるほど、話さざるを得ない。 この葛藤の期間は、進化の過程として百万年単位とみる。




 異種の生き物はこの間、不思議な想いで人を見ていた。 
 魚ほど上手くはないが程々に泳ぐ。
 チーターほど速くはないが適度に走る。
 猿ほど身軽じゃないが木に登る。
 キリンほど高くはないが程々にデカイ。
 みーんな中途半端。 
 その上2本足で立ってシッポが無い。


 聞いてたコンドルが悠然と飛び立った。
 マ二カランの中腹に立つ山の頂を背に、ゆっくり昇りに入った。 微かな人の視線を十分に意識しながら、気流を探す、楽しい気流を。
 両翼3mの翼は大きな気流にゆったりと身を任せ、円を描いて螺旋のままに昇っていく。 右の翼で大きく旋回し、左の翼で陽を確認し、星を確認し、シューシュー、風を切り切り、舞い上がる。
 テッペンに行くと、芥子粒のようだが、ふわりふわり羽を伸ばしきって、遊んでる。 気流の噴気から落ちまいと、遊んでる。


 数万年前の日本。
列島に穏やかな人々、アイヌ人と和人が仲良く生息し暮らしていた。 主役はもっぱらアイヌ人だったかも知れない。
 彼等は色濃くネアンデルタール人の葛藤を継承し、動植物に畏敬の念を持って接した。 又、この地に生息する動物は、どう云う訳か穏やかな獣が多い。 獰猛な肉食動物は御目に掛からない。
 強いて上げれば狼・熊になるが、彼等とて捕獲する食料が豊富であるならば、人を襲う様な事はしない。
 天敵とする豹も、今のところこの日本列島に化石として出土していないから、いなかったと断定しよう。


 狐・狸・犬・猫・熊・狼・猿など昆虫に至る迄、見た目といい性格も、大陸に生息する動植物と比較しておとなしい。
 大陸より強そうなのは、大山椒魚ぐらいしか知らない。 詰まるところ、列島の民族は生き延びる上で、生存に適した立地だったのである。 よって純血が保たれ、その血筋は上記の動物に加えて、おとなしい人柄だった事も幸いした。


 つまり人の殺し合いが無かった事である。 それは、強力な牙を頂点とする弱肉強食の社会ではなかったことが、他の島国が持っている個性、ニュージーランド、マダガスカル、タスマニア、等に見られる生き物の生態系と同じように、日本列島もかなり自己主張してきた島であり、そこにふさわしく生息する動植物だったと言える。


 古い記憶で少しあやふやだが、九州の<阿蘇>この字、呼び名はアイヌ語である。
 アイヌ人と和人。 人種こそ違え、穏やかに交流していたのだろう。
 大陸で見られる様な種族間・部族間での殺戮はまず無かったと見なすのが自然だろう。 争いの主因は食料だが、山・ 川・ 海と幸に恵まれたこの地に、争い事は起こらない。 


 あるとしたら女性の略奪だが、これとて種族間ではなく、たまに個人的な当り前の事、お互い様として戦争などには至っていない。 かえって血の拡散、DNAの拡散に役だったと思える。




 こんな風に想うのは、そのころ住んでいた川崎の宮崎台の付近に、古代人が住んでいた竪穴式住居の跡を見たからだ。
 そこは東京と神奈川の境界を流れる多摩川から、3k程内陸に奥まった所で、1985年頃、そこをビーグル犬と散歩をしていた。
 夏ではないが風のない日ざしの強い日で、畑だったり原っぱだったりするなだらかな斜面を、放された犬が忙しく尻尾を振り立てて上がっていく。


 やがて丘陵地の頂ともいえる広い畑にでた。 そこが古代人の居住地だと知ったのだ。 
立ってる所は標高たかだか30m足らず、そこの一角の黒土を30cm程、掘り下げ、4〜5人のひとが手持ちのシャベルと刷毛で、黙々と当時の痕跡を探っていた。


 そこからずうっと多摩川まで平らで、周りも同じ様な高さの丘陵が大きく離れて波打っている。
 その多摩川を正面に見て左3〜4k離れた丘陵地に、やはり同じ様に古代人が住んでいた部落がある。 所は川崎市が指定した東高根森林公園の中で、史跡として認定されている。 


 この2つの部落の人たち、互いに高台に住んでいて眺めも良い。 従って白や黒の煙を焚いて、色々な合図を交わしていただろう、
 てな事を勝手に想い浮かべながら、時々見え隠れする犬のシッポの尖端の白を確認していた。
 足元から日当たりのいい長い斜面では、やはり同じ様に何か植えてたろうし、兎や狸・鳥も弓を使って獲れたろう。


 双方とも3kも歩けば多摩川。 
 そこで魚を釣りあげていたから、当然太い木をくり抜いた丸木船もあって、もしかすると網も細い竹で編んで、投網していた気もする。 そこで両部落の人々が行き交えば、収獲を語り合ったに違いない。


 そんな営みの中、狩りに出かけたツルッとした顔立ちの若い男と、芋の蔓を探しに出かけた彫りの深い顔立ちの娘が、森だらけの深い森で出会えば、そこで気持ちを交わしていたかも知れない。 
 これら巡り巡って旨く働いたのも、種として生き伸びられた原因にも繋がるし、何より日本語として共通語があった事が一番だった。 


 言葉。
 とにかく摩訶不思議な顔をして使い始めた日本語。 穏やかな民族ゆえ、どの大陸の地域より早く部族としてまとまり、同属集団、社会が成立したとしてもおかしくない。


 数万年前には、集団で木や石 ・ 太鼓を叩いて踊っていた気もする。 伴って櫓 <やぐら> も建てられていたし、祭壇には魚 ・ 野菜 ・ 果物等の捧げ物もあって、儀式が終ったら酒も飲んだし、皆で捧げ物を食べ合ったりして、ごく当り前の人の営みとして想像は出来る。
 捧げ物の数、櫓の寸法、当り前の数字がある事も想像出来る。 推理しよう。 現代の今はっきりしている事は、櫓の寸法が35cm間隔で仕切られ構築されていた事実だ。


 青森県の三内丸山遺跡。
 余談だが、あそこに行ってみると、まず敷地内にコンクリートの道路と、宇宙基地のような金属ドームがすぐ目につく。 あれ、何とかならんものか。
 吉野ヶ里遺跡しかり。
 想うに、おそらく古代人は、カチッとした水はけのよい土道を敷いていた筈だ。 こちらは古代人を味わいに行っているのだから、草履でも裸足でも構わんのだ。
 だからコンは剥がすんだ。 コンコン コンさま 今畜生。 ついでに栗饅頭でも食べさせてくれたら、もうー最高。
何ニイーーッ、 カチッとした土道が作れないだってーッ。


 三内丸山遺跡のその丸い展示館の中に、縄文時代の人々が使った日用品・生活用具・装飾品を見ることが出来る。 装飾品はガラスケースに納められ、その中の小さな石は穴が開けられていて、固い石をどうやって貫通する事が出来たのか謎なのだそうな。


 オバサン ・ オジサンに混じって、
何に使ったのだろう・・ネックレスに使ったのだろうか・・腕輪か足輪の飾りか・・
オシャレだったのネー、と想いは6000年前に行っている。


 そこに60代のネクタイを締めたオジサン2人が、
顔をケースにすり寄せて、食い入る様に見ている。 それは小さな石に貫通している穴をしきりに驚嘆し、頷きあっている。
 どうやら、穴開けの技法を探っている様だ。 日本人の習性なのだろう。 2人を見ていると、技術立国を支えた立派な日本人に見えた。 きっとこの人が35cmの寸法を編み出したに違いない。


 三内丸山には高さ10m程の櫓が建っている。 おかしな事に屋根が無い。 
 東京の大学の考古学会が、縄文に屋根を付けてはいけない達しを出したのだそうだ。
 つまり、弥生の吉野狩遺跡の同じ様な櫓の上には屋根があっても、縄文の三内丸山遺跡では必要無しと見なされたらしい。
 要は、三内丸山は野蛮な人達ゆえ、櫓に屋根は不似合いだと言う事らしい。


 何故こんな見方をするかと訝るが、
40年以上前になるか、考古学者だったか文化人だったか乏しいのだが、弥生式土器と縄文式土器を見比べてみて、縄文の火焔式土器があまりにも荒々しいとの印象を受け、その印象を賜って考古学会は、荒々しい縄文式土器は野蛮、それを創作する人々に文化的な屋根はおらん、必要なしと汲んだらしい。  
 ましてや狩猟採集の縄文人に、定住の地は無いのだから文化生活など無いのだと・・・


 大学はつまらん。
 つまらん動きを辿って来たのだ。 まるで縄文人は未開地の野蛮人の如き、扱いを受けていた。
 そこに青森の三内丸山で、圧倒的な縄文の豊饒なる生活の痕跡が、出現したのである。
 それも5千年以上の人々の営みの印しが明白となってきた。 まことに思慮深い聡明なお達っしだ。


 これを決めた人はきっと偉い先生なのだろう。
 承知の通りオランウータンだって、雨が落ちてきたら大きな芋の葉を頭に載せ、雨宿りに使う。
 この決定を下した先生は、大した度胸だ。
 こういうノータリンには、大きな葉をとって丸い根っこを送り付けてやるといい。
                      差出人  オラン
こうゆう問題は、根っこ、根っこ、 おらんよー。


 10mの長さの巻尺がある。
 手の平に納まる丸いプラスチックの容器から指で引っぱると、薄い金属板がスルスルと伸びて、自在に寸法を計る事が出来る。 しまうときはボタンを押すと、細い金属板が巻取られて容器に納まる。


 1万年前も同じ用途の寸法取、スケールはあったと考える。
 条件は軽い事、真直ぐな事、持ち運び簡単な事、その上、腐らず半永久に使える事、正確に10mは何処でも直ぐ計れる事。
 これを満たすのは竹であろう。八卦見が細い竹棒を束ねて、エイッ! とやるあの竹だ。


 乾燥させれば軽い、収縮不可、曲がっても火にあぶれば直ぐ訂正可能。 加工が簡単。 何処でも直ぐ手に入る。 太い竹なら長さ10m可能、半分に割って5m。 我々は 小刀一つで色々の物を作り楽しんだから、竹の特質をよく知っている。


 乾燥しきった茶色い圧肉の竹を長さ30cm巾3cmの竹材にし、それを万年塀のコンクリートに擦るだけで、簡単に渋い工芸品みたいな竹ヘラ ・ナイフが出来るのを知っている。
 昔の人が石ナイフを持てば、もっとバラエティーに富んだ物を作ったろうし、生活に密着した所で試行錯誤し、竹細工をしたに違いない。


 竹を編んだりして壁材、床材専門の職人も居た事だろう。 隙間風がくるといって、泥を塗ったかもしれない。 竹寸法職人も居たに違いない。 糸のように細い竹の紐を作り、小さな丸い輪として束ね、それこそ巻尺として腰にぶら下げていただろう。
 さらに漆を塗り、10mの柱の上に、ピンと張ってパシッと弾いて一直線の印を付けたに違いない。 現在でも大工さんが使っている墨壺である。


 少し前、トランジスタから何が出来たか。 半導体から何が出来たか。
 一つの道具から短期間で驚くほどの繁栄、進化を見て来た。 対して35cmの寸法道具から数千年かけて、どの様な進化と繁栄、まだまだ知らないびっくりする縄文があるに違いない。 


 例えば、35cmの間隔の竹棒が採れる竹の種類は何か。 この竹が日本の何処に分布、生息しているのか調べてみるのも面白い。 旅をしていて、何処かの湖で、かなり長い節の間隔の竹を束にしたイカダに乗ったのだが、何処だったか思い出せない。


 この時代の人々が繰り広げる宴に参加しよう。
宴の会場としては申し分ない高さ10mの櫓に集う、アイヌ人・和人、千人。 彼等の作った笛・オカリナ、様々な音階の出る石・竹。
 コスチュームは、鹿・犬・猿・熊・蛇・鷲 といったあらゆる動物・昆虫・魚、等の冠、ぬいぐるみ。
様々な獣の皮を張った太鼓。
大木をくりぬいた打楽器。
竹に糸を張った音。
 櫓の屋根の上に長い竹のノボリが立っていて、植物や鉱物から採った色々の染料が塗られ、はためいている。


 やがて楽器が鳴り出し、色鮮やかに化けた大人・子供達。 踊り始めた。 昔、誰もが味わっていた、天から降る音。 風言葉の便り。
 地から伝わるエネルギーを懐かしみ、感情の赴くままに身を委ねた。
 時に激しく、時に静かに、
奏でる響きはやがて雅楽となって行く。


 酒が廻り、酔う程に口は滑らか、口ずさむ歌からは、苦汁の言葉の過去を思い出す。
笑って語り、笑って視線を交す。
身体を交し、気持ちを交して、繋がり合う。
そこに喚声と歓喜の叫びが聞こえた。


 15〜6の少女の澄んだ歌声が、陶酔した身体から発して来る。
 周りは黙り、全体に波及した全ての自我から解き放たれた少女は、櫓の最上階に導かれ、オカリナから、竹・石と続いて、
 少女は月に向かって赴くままに歌い出した。 誰も続いて歌わない。 静かに聞いている。
 遠い昔、宿っていた面影に浸って聞いている。


 少女はてっぺんに張り巡らされた、さらに高く突き出た華やかなノボりの中に、爛々と輝く赤黄色い満月に向かって、ゆっくりと波のような気体となって、月からの斑な光の波動に同化していった。
 楽人も、風の音をゆっくりと静かに流している。
 時たま石の響きが入り、竹の音が入り、月光の宴と化した。
 犬が一斉に遠吠えし、遠くの森の狼も、月に向かって咽ぶ様に鳴き出した。
 焚火の炎は益々燃え盛り、色々の綺麗な動物達が、跳ねたり、飛んでたり、横たわったり、
 皆ひとつに 重なり合っていた。



      ある場所。 ジャリジャリとジープで丘を
      登り切った所で車を停め、
      日の沈む風景を眺めようと降り立った。
      周りは表土が雨で流され、
      むき出しの岩盤の崖に、
      枯れた松のぶっ太い根が食い込み、
      逆さまにぶら下がっている。
      暫くすると、
      砂利道に立つ我が身のつま先から、
      水が砂地を浚巡する様に風化が始まった。
      赤いブーツはみるみる灰色になり、
      膝から腰・胸・脳にすぐ伝わった。
      服はボロボロになって、
      粉の噴いた羽の様になって落ちていく。
      乾燥しきった砂地の様な皮膚の上で、
      視界の外れの肩口に、
      残った開襟シャツの布地のカケラが、
      かすかな風にフルフルッと、
      小刻みに震えているのが見えた。


      ある場所。 大気の流れを全く感じない。
      何の音もしない。
      眼球2つが視線の高さに浮いている。
      干からびた視神系が、
      両端から短く垂れ下がっている。
      瞳の周りに血走った赤い血管が見える。
      その目玉がギロッと動いた。
      暗い黒い岩盤の山が、
      扇状に広がっている。
      石炭かもしれない。
      前方に黒い砂漠が遠く続いている。
      大気が無い。
      空は黒。
      昼夜、区別が付かない。
      遠くで小さな陽があるが、
      輝きは届かない。
      透き通った黒光りを背影に、
      沈黙の世界は、塞がる事の無い視界に、
      じっと佇んでいる。
      岩盤はギラッとわずかに蛍光を発している。
      生きているのだ。
      目玉はゆっくり水平に自転して、
      遠く砂漠の地平線を認めて止った。
      視神系が微かにひきつれて痙攣したが、
      すぐ治まった。


 この列島に、仏像と十字架が船に乗ってやって来た。 仏像は、インドではじまり中国・朝鮮半島経由で渡って来た。
 十字架は、はるばるポルトガルより海を越えて運ばれて来た。 
 両宗教とも、かなりの時を経ているが、仏教は仏様・仏壇となって崇められており、それは身内の血縁の儀式、繋がりの確認となって寺に集まり、墓に頭を下げている。


 日本人はあらゆる信仰を受け入れるが、何れも半歩数歩、離れて見つめている。
 キリスト教がどんなに大きな十字架を搬入してきても、<そうですか>と見上げ、信ずる人は信ずる。
仏教がお釈迦様の手のひらに乗ってますよと云われても、< その様です>と大勢の人が受け止める。


 その姿勢は、我々の生い立ちが人知の及ぶ所の世界ではない事を知っている。 だからとて無信仰では無い。
 天と地と海を繋ぐ岩と岩に、空のしめ縄を張ったりするのは、何とか近づこうと繋ぎとめ、絆を断つまいと手を合わせている。 その行為は環境がそうさせた民族と思えてならない。


 櫓の上の少女を女王卑弥呼としよう。
 彼女は一人とは思えない。 彼女の乗った櫓は、列島各地に群がる邦人の集団に波及し、そこでは確かならず卑弥呼的な存在の人が居て、何かと宴が催されていた。
それは作物の収穫の時や、満月・太陽の周期に合わせて開催され、いつしか全国的に広まったのであろう。 


 それは全国に見られる地名・アイヌ語にも証明される。 その平和な綺麗な環境は、もしかすると千年単位で続いた気もする。 そこでは規模も大きくなり、東日本・西日本となって行っても不思議ではない。


 移動の道。
 しっかりした舟が創られたと考えは膨らむ。 その範囲に拡大した時、大きな卑弥呼が出現したのであろう。
 共通の言語。 豊穰な衣食住を約束する大地。 苦汁の退化から解放された人々。
 そこに先人の脳機能を色濃く残した女王卑弥呼が、大きな櫓の上に立つ。 軒先にたかれた松明に照らされ、卑弥呼はキラキラ光っている。
 両手がゆっくりしなやかに持ち上がり、闇を掴み抱え込む様にしてなにやら詠い語りかけている
 そこに洗練された邦楽の旋律が流れていく。



 この様子は遠い中国にも伝わり、朝鮮半島にも伝わった。
 当然、彼等が渡来して来るのは自然の摂理である。
何故なら大陸での脳機能の退化は、西も東も、異人種・異言語から来る不安・恐怖となって、全く逆の道を辿り、そこから生まれた律・戒・礼に全く自由がなかった。
 従って面白さを味わえる事なら、万難を排してでもやって来たのであろう。


 その後彼等が帰ったか居座ったか、帰った者が中国の役人に伝えたのだろう。 そして役人の作った魏志倭人伝には、こう書かれている。
遠の南の海に浮かぶ島、日本。 ここでは百余国に国が分かれている。″ 
 違います。
 これは櫓、百余の地域に築かれた大きな櫓を指しているのです。 又、
"卑弥呼は民衆を鬼道に仕えて惑わしている・・・" 
とも。


 この記録を書いた文官は、直接見聞きしていないが為に、つまらない味気ない妄想に近い文献となって、後世の研究者をそれこそ惑わしている。
 この場合の宴は、長い時を重ねた面白い人々の感性の積重ねで成立したのであり、従ってこれを報告した渡来人によって、大陸に伝わった内容の結果を見ると、何か一介の好奇心の旺盛な、つまらない野次馬だったと云えよう。


 この女王卑弥呼を、数千年経った後世の書物には、
アニミズム ・ シャーマニズムと原始的な野蛮な時の人として扱っている。
 逆ではないのか。
 そもそもあの時代、宗教と云う概念も無かったし必要も無かった。


 それでも宗教だと当てはめるなら、そうとして見てみよう。 スペイン人が中南米に押し入った見方で見よう。
 マンコカパックに変って、
  人の救済、そんな次元で人を見るなら、
  それは失礼な話だ。
  我々の祖先は、人の、全部の人の哀れみを、
  あんた方が気がつく、ずぅっと前から見て来たんだ。
  それが宗教とは知らなかった。 帰ってくれ。


 ところが彼等は帰らなかった。
 とんでもない事をやらかした。 石の櫓を壊し彼等の美意識の塊、金無垢の美術品を火で溶かしてインゴットにし、破壊し尽くし、荒涼と化してしまったその地に、太い生木を十字にお立てて、帰って行った。


 大陸はもともと出発点が違っているのだ。(大陸とはユーラシアを指す)
 彼等は物が見えなくなっていった時、同じ様に焦った。 ここまでは同じ。 ここから一方では在るがままに受け入れたのに対し、一方はあくまで見る見えるものしか信じない。 この二手に分かれた。


 子供が生まれ家族が構成され部族へと成長して行くと、家族・部族を守る防衛本能が働く。
 大陸はその広大な領域のあまり、地域によって芽吹いた人、民族が微妙に異質だった。 目の色・髪の色・肌の色・声帯の違い。 と、そこから悲劇が起こった。


 不安定な精神は言葉が通じない相手を受け入れるより、家族の防衛に向かった。
 殺戮・戦滅・絶滅と、この方向を選択してしまった。 強い部族は民族に成長し、民族はその地に定住すればいいものを、移動と相成った。
 そして他民族と遭遇すると、命・物・文化を破壊し合った。


 この繰り返しが千年万年と続いた。
不安と恐怖の中に人としての焦燥が加わり、行き着く先は、さ迷いから醒めて定住しか無かった。
 彼等とて考えた。 何か一定の協定は無いものか、統一した倫理に基づく具体的なシンボル。
 そこから宗教が芽生えたのであろう。 だから彼等の創り出す目に見える宗教は、その後ろ楯に研ぎ澄まされた武器に守られている。


 今2001年も続いている、東ヨーロッパ・中東・アフリカで。 
 そろそろ彼等自身、気が付き始めているだろうが、何故我々は好戦的なのか。
 今、必死で答えを出そうと人ゲノムが解明された中、遺伝子レベルで、あらゆる人種のDNA比較検討している。 


 それは確か、映画「羊たちの沈黙」でジョデイ・フォスターが、悪党アンソニー・ホプキンスに諭すように話すセリフがあった。
 "あらゆる人種の中で一番の人殺しは、白人なのよ… 知ってる?"
 やがて答えを掴んだ暁には、色濃く残っているかも知れない先人の人達の前に、ほんのひと並びの遺伝子の搾取の為に、立ちはだかる気がしてならない。
 そこは、アマゾン奥地、ニューギニア奥地かも知れないのだーが。


 今から2000年前、日本列島は驚愕に包まれた。
 大陸から文明の名のもとに、文字が入って来たのである。
 邦人は恐れと不信を持って文字を迎えた。
 それまで気の遠くなる程の時間を掛けて、あらゆる事物を言葉に組み込む事に成功し馴れ親しんで来たと云うのに、今度は小さな指の爪程の記号の中にあらゆる生き物・山・川を組み込もうと云うのである。
 そんな事無理だ信じられないと拒絶し否定し続けた。


 拒絶は100年200年と続いた。
当然だろう。
 完成の域に達していた口言葉に依る、遠い祖先の人の偉業の伝説・神話。 それは、繰り返し聞かされ続けて来た。
 邦人の頭の中では無限に広がり、無限に組み立てられて来た。面白がり笑いあい、繋がりあい信じられて来た。 そのとてつもない大きさを、爪のスペースに押し込もうなんて土台無理。 考えただけでも背筋が凍り身震いした。
 それは、 水! と叫んだショックの再来だった。


 しかし時を経て重ねて行くうちに、落ち着き冷静に文字、数字を眺める人々職人が現れた。 どうしても数字が必要なのは仕事をする上で知っていた。 竹の本数、節での数に限界を感じていたのである。
 それと人口が増えて来ると管理・統制が必要となり、それなりに秩序は保たれていたが、遠く離れた地方に迄及ぶ事は難しくなっていた。


 そこに卑弥呼を頂点とする人々は、大陸の渡来人から国を管理する政治の存在を聞かされていた。
 どうしよう。 大陸の文明を受け入れるべきか、なきか。
 アイヌ人は反対した。 我々の築いた文明制度に、固執・固着の姿勢を貫いた。 四季の織り成す自然の恵を奉り、何より邦人の和を重んじた。
 このあたりからアイヌ人と和人は、悲しい枝分かれがはじまったのかも知れない。


 時が経ち気が付くと、
アイヌ人は九州を引き払い東に向かって北上して行った。 卑弥呼一派はやがて、国としての形態を保つには、律令を取り入れる以外方法は無いと悟った。
 こうなると従来の姿勢を固執し続けるアイヌの人々の存在が、疎んじがられた。 新制度を反対するアイヌ人が居る限り、国として前に進めないと、至る所で戦が起こった。


 アイヌ人こそ穏やかで素直で思慮深く、誰よりも自然への畏怖の念が強いのに、不意に和人から矢が向けられた。 何たる現実であろう。
 卑弥呼たる卑弥呼を持ち上げ企画し、櫓に乗せたのはアイヌ人かも知れないのに、最後は矢が飛んで来た。


 彼等一族の代表シャクシャインは辺境の地に追い立てられ、同族の家族の命を守る為、身体を張って矢面に立った。 彼を想うと白人の謀りごとの前に身体を晒した、マンコカパックの姿と二重映しに見えて仕方無い。




 どうも、頭のいい人、悪い人の区分けができない。
 教室で、仕事場で、家庭で虐げられ追い詰められた人。
 小さな爪で引っかかれ、引っかかれ、身体の中まで引っかかれ全身傷だらけになって、どう対応してよいのかわからない人。 
 あまりにも広い暗闇に向かって叫ぶ  
  馬鹿ぁーーー! は、
 人より熱い涙を流しているんじゃないか。



 聞こえるだけで見えない会話の世界に馴れ、飛び出た額に充分詰ったと思ったら、爪の大きさに総てを押し込める不思議な世界がやって来た。


 見えも聞こえもしない 文字・数字。
ここから総てを明かそうと躍起になっている。
私は誰 ・此処は何処 ・この水、何ですか? に向かって行く。
 


 コパンガン島のお猿が小さい声で耳打ちした。
  ″やめなさい、馬鹿馬鹿しい。"
  ″やめません、こうなったらこの額、
   とことん詰め込んで絞り込んで、
   成れの果ては一角獣になっても構わない。″
  ″獣になるのネー  待ってるワーー 。″
 猿に続いてマニカランのコンドルは、立ち昇る気流のトッタンで裏返しになって遊んでいる。
  ″先祖帰りするんだってーー  ″
 コダマのように渦を巻いて響き渡っている。 
 芥子粒は、今度は逆立ちしてみようと、猛烈に立ち昇ってくる噴気の渦中に、背翼を斜めに突っ込んでみた。
  ″聞こえるかーーー先祖帰りだってーー難しいーーーゾ。″
 楓の葉のように気ままに、舞い舞っている。




 色彩の世界では今、最新の技術を使うと色の巾が無限に拡大され、好きな色が選べるそうな。 無限とするところに信じられない思いもするが、本当らしい。
 音の世界も同じ様に最新のメカを使うと、思う様に音を操作拾い出すことが出来ると聞く。


 こうなると白人は断然力を発揮する。 たまにクラシックを聞くが、その楽器、ピアノ・ヴァイオリン・ハープ・ピッコロ 等、如何にも白人らしく、見える音の楽器としてある様に思える。
 その楽器の集合であるオーケストラの奏でる音のドラマは、きらびやかで面白い。 だが、理解・味わいとなると2重奏3重奏の奏でる音に親しみを感じる。
 つまり味わい方に自信が無いのだ。


 小さい、まだ音に無垢だった頃、最初に入ってきた音は、アメリカンスタンダードジャズ・マンボ・ラテン等、いつの間にか音楽はリズム、リズム感で聞くもんだと馴らされていた。


 従って、クラッシックの奏でる音の旋律に、どうも溶け込めない。
 白人のアーティストは、オーケストラの奏でる楽器の音に限界を感じたのか、面白味を感じ無くなったのかも知れない。
 我々の馴染む雅楽風な、ワビ・サビ風な音に興味を注いで来た様である。 それは面白いし、実際いい音を創っている。


 現場では、計り知れない空間から発する見えない音の世界を、音を拒まなければ満足しない白人の音楽家が、その無限に広がる音の色彩から、好きなように音を取り出している。
 そのテクノは空間を突き抜ける様な、大気の流れを拒んだ様な静かなとっても面白い、音・旋律を創り出している。


 本来なら我々の音であるのに、どういう訳か沈黙している。
 何処かに居る、聞こえている人。 聞かせ〜〜ろ。

                   
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