直線上に配置
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 パルテノンを作ったフェイディアスに逢う為には、物理的に2400年の時間の壁を乗り越えなければならない。

 
つまり光より速い乗り物に乗れば到達する。 
ならば具体的に納得できる乗り物を創らなければならない。


話は飛躍するが、恐らく光より速い物、UFOをまのあたりに見た。
場所はマダガスカル島、アンピジョロア。 
時は1994年。


マダガスカル島には自然のジャングルはほとんど無くて国土の北と南にわずかに残るのみ。
 動物番組でよく見る、立って横飛び歩きをする尻尾の長い猿が居る所は南のジャングル。


 何故マダガスカルなのかは、まさかこの島でUFOに遭遇するなど露程にも思ってもいないから、当然UFO目的で行ったのではない。 
 漠然とテントを持参し、ジャングルの中で少しの間過ごしてみたいと単純に思いついて行ったまでの事。 動植物・昆虫が個性的だからと向かったにすぎなく、お陰で猿の群れとの出会い多様な蛇に出会えたのも嬉しかった。 


 そこにUFOが加わったのだが、これは全くの付録的な出来事であった。 
 北に決めたのも、南は例の猿でかなり知られているからと思ったのに他ならない。 
 簡単な地図を見ると、北マダガスカルの一角が小さく緑色に色分けされた所、そこがジャングル。 


 首都のタナナリブーで3泊した後、さっそく早朝タクシーで長距離バス停に行く。
 そこはただただ広い広場。 そこに20人乗り程の小さなバスが、舗装もされないぬかるんだ地に、ひしめき合ってバラバラに停車している。 何故広い原っぱを有効に使わないのか理解不明。


 大勢の人々が右往左往目指すバスに向かっている。
鶏を5〜6羽竹篭に入れ頭に乗せている人、赤ん坊を背中に背負った子連れ、プラスチックのタライ・バケツ等買い込んだ人。 
 バスにNo.など振ってない。 
呼び込みの若いニイサンが、行き先の地名をがなり立てている。 満杯になったバスからのろのろ動き出すが、それでも乗せようと助手が身を乗り出して怒鳴っている。


 一角に朝食の為の食堂が4軒、ビスケット・パンを売っている店2軒、土産物屋、皆バラック建て。 
 外れの土産物屋の横にテーブルが1つ、そこでコーヒーとニコチンを充分摂取してから出向いた。


 バス停の入り口らしき所に、管理事務所なのか小さな掘っ建て小屋があるので、そこで私は大雑把な地図を示して、ここに行きたいと指差した。 
 マダガスカルはフランス語と原地語しか通じない。
太ったオヤジが原地語でベラベラ長く喋るので、響きの中から地名らしき単語を拾い出して確認を取った。 


 バスの群れの中に入って地名を云うと、呼び込みのニイサンすぐ教えてくれた。 バスに乗った後、戸惑うのだが、結局2日掛かりで目的地に着いた。 管理事務所のオヤジが長々と喋ってくれたのは、1日じゃ行けないよと云っていたのだ。


 バスはひどい、ここのバスは二度と乗るものじゃないと云って帰りも乗るのだが、何しろ座席の間隔が猛烈に狭い。 中背の私が座って、ピッタリ前の座席に膝が当たり尻は後部シートにビシッと引っ付いて足も組めない。 つまり気をつけの状態で座るしかない。 横の間隔も驚くほど狭い。
 何しろ車自体が大きめのバン車の車体だから無理もない。


 その車内に横5人座らされ、真ん中に両膝合わせた位の通路がある。 だから、ちょっとした置物は全部屋根に積み上げる。 リュックの中にはビデオも入れているし、当然屋根の上が気になった。
 こうして総勢約30人と山の様に積み上げた荷物を満載して、ミニバスはアンピジョロアと信じて出発した。


 走り出してすぐ解ったのはこのバス馬力が弱い。 ギアの音を聞いていると殆どローギア。 たまにセカンドに切り替る。
 タナナリブーから北は地形が暫く上り坂になっている様だ、とにかく遅い。 最初は車窓の風景を楽しむつもりでいたのだが、とてもそんな気分になれそうにない。 長時間身体の自由を奪われ続けると怒りより恐怖心が襲って来る。 


 少し急な坂道を自転車を押しながら登って行く人がいる。 何も考えないあきらめ気分でいるのだが、いつまで経ってもその人を見ている。 同じスピードなのだ。
 一切防音などお構いなし。 エンジンの騒音と一定の振動に身を委ねていると、何時しか感覚機能がマヒしてくる様だ。


 地図の上では1日でアンピジョロアヘ行けると目論んでいたのだが、2日掛かるのもこれじゃ無理はない。
 6〜7時間乗ったろうか、車窓の眺めはいつもマンゴーの樹ばかり。 最初の頃はマンゴープランテーションかと思った。 でも畑に従事している人は見かけないし定かでない。 


 このバス、通り掛かり道を歩いている人が手を上げると乗せ、車内で口が掛かれば止まる。 正規のバス停は3度程止まったか、そこには丸い鉄板をつけた鉄棒が地面に刺さっている。そして必ずこの標識の横にマンゴー売りの出店がある。
 板で囲った簡単な台の上、無造作にマンゴーだけ乗せている。 一歩マンゴー畑とおぼしき中に踏み込めば、いくらでも手に入るのに買う人いるのだろうか? それなのに何処のバス停でもマンゴー売っている。 こっちも疲れているからくだらん所に気を配る。


 こんな思いをしながら途中一泊し、次の日アンピジョロアのバス停を降りたのは午後2時頃。 いきなり空気の流れが止まったせいか熱い陽光をビタッと浴びた。 
 そこは広い道路のT字路になっていて、5〜6棟程そまつな家がバス停の道沿いに散在している。 行き交う車は無くて、今来た直線の道を振り返るとずーっと先まで歩いている人は見かけない。 


 反対のバスの進行方向は程なく左に曲がって、やはり人も対向車もなくその先はジャングルに繋がっている様だ。 何とも中途半端な所に来てしまったと思った。 T字の道が重なった所にはバラック風の店があって、とりあえずお腹も空いたし土地感もわからないので、情報を仕入れようと客のいないL字型のカウンターに座ってコーヒーを頼んだ。


 リュックを背負って来る人など珍しいのだろう若い黒人の店主は最初から警戒していた。 小さなラジカセからアフリカンリズムの曲が鳴り出した。 しばらく金属鍋を叩いて鳴らす楽器の音を聞いていたが鳴り終った所で自分のテープを差し出した。 無表情にテープカバーのなくなったラジカセに黒い指で器用にはめ込むと、欧米の古いヒットポップが流れ出した。


 膝で調子を取ってる黒人とは言葉が通じなかったが、紙にテントの絵を描いて何とかこちらのやりたい事を告げると、理解したらしく紙に地図を書いてくれて少し打ち解けた。
 屋根のない素通しの奥では、若い奥さんらしき人が薪をくべて私の昼食を作っている。 鼻を垂らした小さな3〜4歳の姉弟が、仕切りの所でこっちの様子を見ていた。 別れ際、テープあげたい所だが大事に聞いていたテープだったのであげなかった。


 地図をもとに歩いて行くと、木がだんだん高くなってきて空を塞ぐ高い木の所で止った。 4km程も歩いた気がする。
 そこに現地の住民の家が10軒程、道の左奥まった所に並んでいたのが見えたので、地図の丸のついた点はここかと道路右に入って行った。


 人の足で踏み分けられた細い道を100mも行くと湖が見えてきた。 水面は左に伸びて奥で左に曲がっている。 湖の正面の奥行きはおおよそ200m、右は50m程でその右奥約150mは湿地帯になっていて、短い葦系の植物が薄く植生している。
 湖の全体を見た所、草野球なら5〜6組出来そうな大きさだ。


 とりあえずテントを張っちゃおうと右の水面に張り出した砂地の辺りで組み立てに掛かった。 
 出入口を湖に向ければ眺めも良かろうと、水辺から3m程の所にして向きも決め、薄い砂地の地面であったが、ピンもしっかり打ち込んで風に備え、念のため丘地から石を持ってきて、四隅のピンの頭に乗せたりもした。 


 そうして張り終えると年の頃40過ぎの細身の男がやってきて、ここはワニが出ると云ってきた。 “ナニー、ワニだと!”
 とりあえず湿地寄りの森の木の密生する、とば口にテントを移動した。 この件、今だに半信半疑に思っている。 と云うのも結局この場所に5〜6泊したが、その間現地の人が沐浴しているのを何回か目撃したからだ。 


 テントを新たに張ったすぐ後ろには一抱えもある太さの木があって、その木は幹の表面に2cmほどの鋭いトゲが密生していて、高い枝の所にもトゲは生えていた。 
 滞在中テントの近くを、3匹の猿が何か食料を捕獲しながら移動していたが、この木は近寄らないでくれという木なのだろう、変な木もあるものだ。 


 滞在3日目の夕方陽が沈む少し前、そろそろ湖や湿地帯それを取り囲む森林が色変わりするな、とテントの5〜6歩前に立ち比較的高い木の下で風景を眺めていた。 湿地帯には名前の知らない嘴の長い綺麗なサギが数羽、首をドウドウさせながら歩いてる。 たまに湖の魚が跳ねて水を弾く音を周囲に響かせている。


 誰もいない静かな時だった。
 顔を向けていた方向に、いきなり真っ黒い大きな飛行物体が出現した。 それは湿地帯の対岸で、およそ150ないし200m離れた高さ5m程の雑木林の上を、すれすれに現れ通り越してやって来た。 


 思わず、“何だアレ!”
と指差し怒声を発してしまったが、飛行体はみるみるこちらに近づいて来て頭の上を通過して行った。
 そして高さ10m程の所で、ズバッと消えてしまった。 10mと云うのはプールの飛び込み台。 あの高さは10m、それに当てはめた。


 消えた時、周囲の空気の振動もなければ音もしなかった。 あの図体が消えるのに何のエネルギーも残さず瞬時に消えてしまった。 秒数にして6〜7秒の感がした。 最初、俺の方に向かってくる巡行ミサイルかと想った。 湾岸戦争の映像を見ていたからその印象が強い。 


 くっきりした黒い円い輪郭。 やがてすぐその輪郭は素早く真っ黒くはみ出す程度に動めいている飛行体に変わり、その時黒い中の淵に沿って小さく朱色の点々を見る。 時計の針で飛行体の方向を示せば10時迄の時である。 


 逃げようとほんの少しよぎったが、状況を判断しようと目を見開いた。 この時UFOとミサイル半々、ミサイルなら弾頭が飛びだしてる筈だと想いつつ見続けた。 
 11時迄の時、はっきりと全体を現し弾頭の確認をしたが、垂直に立つ丸いリングだけで中は空洞、空をみた。 UFOだ!


 飛行体はしっかりしたビルの2階程の上を飛んでいて、大きさはそのビルの2階の上、2階分を占めていたからリングは直径8〜10mに相当した。
 全体の形は輪切りのバームクーヘンの様なリングで、その先に張り付いている様な樹脂を思わせる質感の奇異な形の前頭部を見た。
 リングの外側は濃いネズミ色で巾50cm程、一見ステンレス風だがあんなにピカピカしてない。 


 次に内側の探りに目を向けた。 
すぐ目に付いたのは、1.8m程の等間隔から噴き出す青い炎のガスと、後ろにたなびくオレンジ色の炎、そしてすぐその青いガスバーナー風に噴出すガスの元口に集中した。 
 同時に、金属と思われる内側が、ビスみたいな物で張り合わさる縫い目みたいな物がないかと、神経を配る。
だがガスの噴き出し口に突起物はなく、ツルッとした質感の内側の小さな穴から青いガスを噴き出していた。 


 全体の形を補足すれば、奇異な形の前頭部は半光沢の濃い茶色で、形状は哺乳瓶の口を押して中を丸く切り取った様な形で、高さ25cm程が前に飛び出している。
そしてそれは同じ様にサークル状になっていた。


 バーナーの吹き出し口を一段と睨みつけたのは、もしボルト・ナットの6角形か8角形の口が付いていれば、人工物と判断しようと想ったからだ。
同時に想い浮かんだ事は、まずい!上に木がある。 
このままの進行方向だと隠れてしまうと想いつつほぼ真上に飛来。
 幸い落葉樹でまばらな葉を残し、ほとんど細い枝だけ。


 ウッヒャー!のおもいで上空12時・1時の方向を通過し、同時にリングの後ろ、巾50〜60cmの厚みのサークルを追いかける。
後部にあたる縁どりの面は、表面から細かく水が沸騰してる様な明るい銀白色の地肌、全体はCD面の反射の様にも見えるがピカピカでなく虹の様な筋は無い。


 そして2時の方向、
銀白色の背面を見ていた時、ズバッと消えた。
息も飲めない。
 何々、何にぶつかったんだろうと唖然としてた。
普通垂直に飛んでいる皿か何かがぶつかれば破片が落ちる。 そんな物は何もない無の空になった。 空気の振動も消える刹那の音も無い。


 後で記憶を辿ったが11時の頃まで、ガスの元栓をひねった様な音が筋を引いていた。
その音に混じって最初に現れた時、猛烈に吹き出す黒い煙幕が飛行の内側に送り出し、外に逃げないから黒い丸に見えたのだ。 
それとハタハタと吹き出す音も最初からしていた、だから瞬時に目視出来たのだ。


 湿地帯際の木々を飛び越えた時、幾分高度が下がった気もする、それでこっちに向かって来ると瞬間思ったのだが、それはよくわからない。
視点の高さは約2m。 
湿地帯を挟んだおよそ150m先の高さ5mの雑木林の上にそれは現れた。
するとほぼ平行な9時の方角から消える2時の飛行地点まで、直進上昇と考える。


 その高さは10mのプールにある飛び込み台、あの高さ位の印象が強い。
 当然の事ながら、あんな物を見てからの1〜2年は足が地に着かない。 それこそ宇宙人になっていた。 我々も上手に進化を続ければ生き延びられるのだと、ニタリともした。
 この気持ちはミサイルからUFOに切り替わった瞬間、フィルムの3コマ位の感動だった。 


 日本に帰ってからは、レンタルビデオ屋で、まさぐる様に探しその手の物を借りて見た。 
 テレビのUFO物も今まで下手物扱いしていたが真面目に見る様になった。 そこから得た情報と繋ぎ合わせて比べてみると、どーも形が違う。 それは例の円盤形のUFOとは似ても似つかわない形をしていたからだ。
 しかし番組の中で、UFOが消えたり出て来たりする場面には、何の疑いも持たなくなった。 
 UFOから直接火が出ているのも何やら陳腐に感じ入る。


 異星の異なる文明の利器にガスバーナーが剥き出しで付いている。 地上の我々の文明の利器に当てはめたら、最先端のステルス機に線香花火の組み合わせだ。
 この宇宙に知的生命は数ある事とするなら、地球にやって来るUFOも、その星の知的生命の進化レベル=UFOレベルとみなすべきなのか。 
 目視した時の飛行速度は40kmないし30km位に感じた。 遅くも思うが消える寸前なのだからあの速度でもいいと考えるのは地上の概念か。


 11時の方向の時、後ろに煙はなかった。 でも、青い火・ガスは真直ぐ上に出ていた。
 気になるのは最初の出現の頃、淵に沿った点々の朱色は11時迄の青いバーナーとオレンジ色の炎に変わっていた、これが消えた煙の原因に繋がるのかもしれない。
 奇妙だったのはオレンジ色の炎の部分、そこが実に弱々しく、そよ風に揺れる炎の如く後ろにたなびいていた。 
 今、ライターで火を付け右から左に移動すると、火元から炎は折れてしまう。 
 UFOの真ん中は大きく口を開けている。 直接40kの速度の大気に触れてあんな柔らかい炎になるものか?


 ここで再びUFOを見た話。 
アンピジョロアのバス停の所で食事を終えたのは夜8時頃だった。
 そこはT字路になっていて、路線から外れた道を200m程行くとフェンスが敷いてあって行き止まり。
 この中は昼間来た時見て知っている、大きいスレートの倉庫と思われる建物が2棟あって、広い敷地内に人の気配は感じられない。


 昔、TV放送していた‘インベーダー’思い出すがロケーションとしてはぴったりの所、でもこの際関係ない。
あの主演のロイ・シネス好演していたがその後どうなったか。


 さてこのフェンス近く迄来てUターンし100m程ゆっくり戻った。 月は無く星がたくさん輝いて店の裸電球がことさら明るい。
 店の後ろはジャングルが黒いシルエットになって広がっている。 その黒いシルエットの上を、やはりかすめるように同じ色の黒のUFOが右から左に飛び去った。 飛行方向は同じく湖に向かっていた。


 形は太さ長さミサイルそっくり、地を這う巡行ミサイルそのもの。 それで何故ミサイルを否定するかと云えば、筒の部分は煙だと知っているからだ。
 しかし何故、地を這うのか。 レーダーはどの様なシステムになっているのか良く知らないが、ジェット機の吹く熱源を追いかけるとしたら、このUFO、地球のレーダー認知の上で飛行している事になる。 
 UFOの頭脳と云うか人類のシステムを全部知っているとしたら不気味な気もしないではない。


 正面から左に飛行した時点でUFOの炎は見える角度に入るが、それは見えない。 リングの内側の煙にかき消される計算になるからだ。
 この煙の元は何なのだろう。 あの細かくCD盤を乱反射してた、恐らくエネルギー噴出口と思われる巾50cm程のリングと、均等の間隔で内側に吹き出す火。
 このシステムがどうやら絡み合っている様だ。
 車やジェット機のように、何らかのエネルギーを搬入してきているのだろうか。 それとも地上の酸素・水素を活用しているのだろうか。


 良く知らないが水素を燃焼した場合、煙はどう出るのか。
煙が出るならその消失時間・色・臭い等、知りたいところだ。
 恐らくふんだんにある水素を利用しているのだろう。 
 しかし何故火を外に出すのだろう。 内燃機関で処理出来ないのだろうか。 あの飛行形態、あんな飛び方出来るのだろうか。 真ん中空洞の皿を立てて羽など一切無し。 推進機関は後ろのみ。
 もし地上に向かって推進機関があるのなら、ほぼ真下にいる私に何らかの衝動・衝撃があるはずだが、うちわの一払の風も落ちて来なかった。
″お前が興奮していたから感じなかっただろう。″
と勘繰るかもしれない。


 1秒間の観察能力・洞察能力、私は長いあいだ車を乗り続けているが危ない目には何度かあった。 
 その時の1秒間にも満たない時間内で対向車・後続車・スピードの記憶・アクセル・ブレーキ、全部に気を配る。 
 冷や汗をかく程に振り返れば驚くばかりだ。


 バランスは結局のところ、地球の地軸を基点にして常に垂直を保っているのだろう。
 飛行機のコックピットに備わっている計器の中で、常に自機のバランスをシュミレーションしている縦と横に線が引いてあって、真ん中に機体が正常に保つようにしてあるあの計器。
 あんな物が恐らく備わっていると信じるしかない。
地軸の1点だけで難しいなら、地球の地軸と北極星で結ぶとか、たぶん簡単な、彼等にして見れば星をまたいで移動しているのだから、極めて初歩的な技術で何処でも通用するシステムでしかないのだろう。
 そうして近づいてくる彼らは、たぶんエネルギーとして酸素を取りに来ているのではないか?


 以前テレビで、地球に落ちてきた小さな隕石を、フラスコの中で暖めたら、水がしたたり落ちて来たのを見た。
 従って隕石の塊りである星は、いずれ凝縮する。 その時膨大な雨・水塊を宇宙空間に降り散らすと考える。 何しろ宇宙は卵・羊水と考える生物だから。
 それでも地球に彼等UFOが来るのは、どうせ飲むなら旨い水・純粋な水がいいと我々がスーパーで水を選ぶのと同じ心理と変わらない。


 しかし彼ら姿を見せないし降りて来ない? 
 いやたまに降りて来る。 植村直巳なんか彼等と仲良くなって今頃どっかの山を登ってる。 
 そこでもまた10万mの山を足で登ると頑張っているものだから少し浮いちゃっている。
 何故汗が出ない?と聞かれて、彼ら困って返しちゃおうかと相談しちまっている。 だが彼ら滅多に降りて来ない。


 何故なら何しろこれから行く、アクロポリス・パルテノンが出来るずーっと以前から、人々が絶滅を掛けて殺し合っていて、つい最近も同じ事を同じ近辺でやっている。
 常に今でも地球上のどっかで途切れる事なくやっている。 
辞めよう辞めようとやっと生まれた宗教が、2000年の間にいつしかそれが武器になって戦っている。


 こんな所、物騒で降りて来ない。
もし降りてきてシュワちゃんみたいのに身構えられたら、彼等卒倒しちゃうよ。 でもシュワちゃんとじっくり話し合って、彼が低く低く揉み手と笑顔で接したら、いつしか彼の肩の上に彼等が乗っかっている気がする。



 その彼等に聞きたいのは実体が消えるという現象だ。
 毎日の生活は経験の蓄積で送っている。 目の前で電車やバスが消えるなんて事は大脳の中に組み込まれていない。
 しかしそれを経験すると、戸惑うとか信じられないの世界ではなく真っ白。 だから、経験に当てはめようと、消えた瞬間何にぶつかった! と、ボカッとしている。 暫く経ってから、これは現実なんだと自分に言い聞かせている自分に気が付く。 ところが現実として体験してしまうと、人はともかく自分自身に納得させなければならない。


 日が新しい内の結論は、彼等あれだけの技術を持っているのだから、周りの空気他あらゆる物体に同化するスクリーンの中に隠れたと考えた。
 イカやタコが岩や珊瑚に色変わりするあの仕掛けと思ったのだ、でもこれは無理。 水の中に手首を突っ込めば、徐々に指先から隠れていく過程が見える。
 水平線に落ちる丸い太陽は徐々に輪が崩れる。 ところが、あれは目の前で一瞬同時に消えたのだ。 


 1965年私は赤坂にいて時間を持て余していた。
 ホテルニュージャパンのシャンゼリゼを出て、斜め前のイタリア文化会館を通り過ぎ、新橋に向かっていた。
 引き返したのは、何とはなしに扉が開いている館の中を覗いたら、変な大きな足が見えた。 それが気になって、きびすを返したのだ。


 2〜3段の石の階段を過ぎると、中に又、低い数段の階段があって、奥に部屋がある。 受け付けは居なくてテーブルにカタログが置いてある。 奥は高い台の上に下半身の足が見える。 人の気配も感じられない。 
 黙って入って行くと、天井の高いドーム状の部屋に、ミケランジェロのダビデ像が立っていた。 腕や足に血管が浮き出て、物憂いげの表情で鎮座している。 


 部屋はそこそこ広いのだが、部屋を埋め尽くして周囲を圧倒している。 生きてる様に写実で迫った人体という物が、こんなに迫力あるのかとただただ魅入っていた。
 それ迄彫刻といえば、上野の西郷さん・名所旧跡で見る銅像位で、何の感情もなかった。 それからというもの、仕事中や遊び中ポカンとダビデ像が浮かび上がり、そんな状態が数年続いた。


 1977年川崎の宮崎台の駅から8分程の所に、
6畳・4.5畳の小さな借家に住んだ。
 この頃の宮崎台は、新興住宅地開発が、競うように東京の郊外に広がっていた時期で、駅から借家までの道のりは、半分程原っぱや農地だった。
 借家の前も土地が空いていたので、大家と掛け合って、ここに10坪の彫刻のアトリエを建て、都合20年居着いてしまった。
 途中合わせて3〜4年外国に旅に出たりしたが、のらりくらりと製作が続いたのも、面白い面白いからやる。 これ以外思い当たらない。


 面白いは表現、表現はオリジナリティにつながる。 20代迄自分が彫刻をメインに生きようなどとは思わなかった。
 それはクリエイティブな仕事は最も厳しい事だと小学生の時分に理解していた。
 小学校4年の時、自分の絵が校舎の廊下に貼ってあったものだから、少し図工に関しては鼻が高かった。
その頃の図工の教科書にはセザンヌ等の絵が載っていて、同じ様な具象の絵をクレパスで描いていた。


 小学校6年の教科書。
 時代が少し豊かになって、色彩の絵が1部現れ人物や風景をディフォルメした抽象画が具象に混じって載っていた。 それを見て小さな自信がポキッと折れてしまった。 同じ目で描いているのにこんな風に描いてある。 この絵は世界中で1人なんだ。 だから教科書に載っているんだと理解した。 
 この気持ちは今も変らない、この認識はずーっと変らず続いている。 以後、美術はどんどん遠ざかり、いつしか絵を描く行為は女々しいと迄感じて、男の子の遊びに没頭してしまった。 正確では無いが30年程前、ダビンチのモナリザが日本で展示されたが見向きもしなかった。 


 借家の風呂は1間角の間取りで窓も1間取ってある。
古い借家の作りだから、風呂が大きめに作ってあるのが有難い。
 夏、水風呂に入ろうと水を入れたら、プラスチック浴槽の淵から下15cm位まで水を溜めてしまった。 ザブンと勢いよく体を沈めたその時、面白い現象を見た。


 風呂のプラスチックの淵は、巾4.5cm位。 
 その上に2cm四方の枯れ葉が乗っていたのだが、当然勢いよく大きく盛り上がって来た水圧に押し流されると思ったら、逆に風呂の側に逆流してきたのを見てしまった。 おかしいな? と濡れ枯れ葉をつまみながら、首まで浸かっていた。 


 北向きの窓の外には、八つ手の葉が日陰に四方広げている。 天狗のおじさんなら、この現象をどうみるだろう。 物理学者や科学者が最もらしい説明されたところで私は信じない。 物心つく小さい時から川遊びに馴染んで来たから、水の力は充分知っている。
 川で泳ぐ場合は、流れに任せないと一命を落とし兼ねない事も知っている。 風呂で一気に身を沈めると盛り上がった水塊は、放射線を描いて勢いよく下に落ちる。 ところがその表面に乗った枯れ葉は逆行した。
 この現象フェイディアスに会う為に使おう。


 規模を大きくしよう。 大きなダム。 
 エジプトにあるアスワンハイダム。
 話は余談になるが、このダム、ソビエトが苦労して作ったかと思ったら、エジプトのナセルさん “はい、それまでよ” と、ソビエトと手を切ってしまった。
 義理も人情もあったもんじゃないがダムはあった。


 このダム、この当時世界一の規模だった。 テッペンは巾100mはあるだろう。
 ここにタイタニック号を設置し、風呂水と同じ比率の湖水の水塊が押し寄せてきたら、タイタニックはダム湖寄りに滑り落ちると、こういう事になる。
 どうやら直進するエネルギーの最壁面は、逆進している。 その逆進する最壁面に乗り物を乗せ、更にその乗り物に強力なエネルギーを持たせれば、光の壁は突破出来る。


 ホーキング博士が、あと1000年で人類は滅びると云っていたのを思い出す。
 すると、右にあと今世紀1個を含めて頭が10個並んだら終り。 彼が云うには人為的な温暖化現象の結果だと云う。
 しかし400万年は温暖化・寒冷化の繰り返しと云われている。 すると、今起きつつある温暖化現象と過去の温暖化現象は違う、と云う事なのか聞きたい所だ。


 今の人達は、遠い過去の大変な自然環境を乗り越えて来た人の、遺伝子連鎖の結果と云える。
 となると、俺達・僕達・私達は、最も新しい生命力のある伝達人として少し胸張っても良い気がする。


 温暖期に頑張った黒人。
 寒冷期に歯を食いしばった白人。 
 端境期に南北走りまくったコンガリ黄人。
 ニューヨークは地下鉄に色取り取りの人がいる。 皆黙ってはいるけど、身体の気持ちの何処かに、あなたがいて私がいる=@とつぶやいている。


 当然の事だが、眼に触れる動植物、彼等は億単位で環境をしのいで来た強力な生きる達人。 
 山や海に入って彼等大先輩に囲まれた時、何とも云えない穏やかな気分を味わえるのも、生き残る術として得られた生活の知恵なのだろう。
 実際、考古学・人類学から流れる情報では、現在のところ、どうやら我々はアフリカ大陸から枝分かれしたようだと分析している。


 でもこの先どうなるかわからない。
紛失した北京原人の頭蓋骨より更に古い骨が出てくれば、枝分かれはアジアからともなるし、ヨーロッパからとも云える。
 こんな事は誰も見ていないのだから、誰でも勝手に想いは巡らせる事が出来る。


 世界を旅していると、全種当てはまる訳ではないが、その国の人と犬は似ているのに気が付く。 もう1つ猿とその国の人が似てる。
 日本の猿。 尾が短いのは外して、顔を向き合い視線を合わせるとすぐ怒る。
 別に眼付けしたわけではないのにすぐ怒る。


 インド。
 中央インドのコダイカナール。
 ここは暑さから逃れられる避暑地で、日本の昔の軽井沢に似ている。
 山の中腹にあってバスで登っている時、ふと車窓から見た猿の顔がインド人とそっくりだった。
 インド人は多くの種族の集まりだが、その中の1種族と同じだったという意味である。


 アマゾン河。
 イキトスからマナウスまで船で下った時、船上より見た猿も、インドと同じケースでインディオに似ていた。
 直接見た訳では無いが、アフリカのゴリラの顔が1種族のアフリカ人に似ている様に見える。


 その地域の猿と人の関係。 よく解らない。
ヨーロッパに何故野性の猿がいない、おかしいではないか。
 日本には雪の積もる青森まで生息しているのに、緯度的には生息可能の地域だ。 
 先の例に例えるなら、白い猿がいてもおかしくない。


 確か1世紀程前、アメリカの白人の間でダーウィンの進化論に絡めて、猿と人間の関係に於いて激しい論争があったのを記憶している。
 白人はどうやら宗教との関係上この問題ビビッてる様だ。 その関係でヨーロッパに猿がいないとしたら怖い話だ。


 先日ギリシアのアクロポリスの遺跡を見学したが、その際ディオニソス劇場のある敷地の1番端の所に、粗末な屋根だけの建物の中に大理石の大きな人体があった。 頭部が砕かれ殆ど原形を留めてなかったが、背中・腹・太股には長さ4cm程の体毛が全身ビッシリ刻まれていた。
 恐らく神話の世界の彫像だったのだろうが、大理石自体が白いからか何か勘繰ってしまった。


 確か5〜6年前の情報だが、オランウータンだったかチンパンジー・ボノボだったか、血液が99%以上同じだそうだ。
 それで人間の血液を猿に注入し100%取り替えたそうだ。 そしたら拒絶反応を起こす所かピクッとして元気が出たそうだ。 面白い。 
 そのピクッとした所が、人間の0.0?%の違いの養分が関係した事になる。 元気の養分、猿に教えてもらった様な物ではないか。


 正月過ぎて、忘れた頃に冷蔵庫の餅を取り出すと、色取り取りの菌子が繁殖している。
 赤・緑・黄色・黒・白、一面全部に繁殖・部分繁殖・殆ど無菌、それぞれ見事に寒冷期を乗り越えているが、この3枚の餅、一枚の餅の一ヶ所に発生した菌が、他の2枚に移ったのだろうか、それとも別々に・・・。


 地球上の環境の中で極の付く寒冷地を外せば、人類は進化を重ねて、何れ個体から族の付く集落に発展した事は想像できる。
 課題は族集落の形成迄に多くの原人に値する人々が、生存の過程で削減してしまった事だ。 何しろ人類は地球上一番最後に現われた哺乳動物ゆえに、生存も難しかった。


 その時期は400〜500万年前。 
 何で人類がシンガリなのか。 豹等いわゆる人間の天敵が現れる前に人類が出現すれば、もっと生存しやすかったろうに。
 この辺を考えると、妙に変に地球上の生物の生態系のバランス、生物の生態系の行き着く所に、人間が出現すると計算されているのだろうか。 
 何処かで何かが絵物語風に、このパラドックスを覗いている様な気がしてならない。


 20世紀の後半に、フィロウイルス・エイズウイルスがいきなり暴れ出すのも変に考えてしまうし、過去に天然痘・ペスト・コレラ・結核等みてくると、何かが眠りから覚まされたウイルスのコマを、指さんと構えているのかもしれない。


 未知の異なる多くのウイルスが、黙って人類を取り囲んでいる不気味さを感じるのは考えすぎかも知れないが、呼吸する全生物はじっと息を潜めて人類を見つめている気もする。



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