高倉健と菅原文太が、2人並ぶ様に渋い顔をしながら逝ってしまった。
死因は揃ってガンだと云う。
20年前、イカダ組は「人は生物として完成されているのだろうか」と語り合っていた。
目に映る総ての生物と、つい比較してしまう。
ある生物学者は、1億年も生き続けるサメの生態研究していたが、
ガンは無いに等しく、発生したとしても、1〜2%だといっていた。
その時の語りの結論は、「人が自然に生命活動を全うして、帰してしまうのは、2割にも満たないそうだ。」となった。
とすると種としてのシンガリの我々は、「未完成の存在でしかないのだ。」
として一致してしまった。
どうもおかしい。
いずれの生物は誰でも時間をかければ、
旨く上手に故障箇所を直して進化して行くのだが、何処か変だ。
まさか退化してるとは思いたくないが、
日本はこの10年急激に鈍化しているのを見ると、
神経が侵されているのかもしれない。
今日、犬と一緒に近くの公園に行ったら、
銀杏の強い匂いと鮮やかな黄色い葉々が、道いっぱい広がり続いていた。
池のほとりの紅葉は、
平らな湖面と青空に紅が、あか あか。
若い女性が寒いのに伸びのある白い細い素肌の腕を、
知らないカメラでパチリパチリ。
70過ぎのオジサン達、渡り鳥を撮ろうと、
立派なカメラおよそ20脚立ち並んでいるが、
シャッター外して、柔らかい陽光の下、
ひとかたまりになってポカポカ、ダベッッテイル
私の老犬はノーリード
50年前新宿の歌舞伎町では、
若者達が土曜の夜から朝にかけ、
全員が高倉健、菅原文太、女は藤純子になっていた。
近くの花園神社では、赤テント、黒テント、アングラ芝居をやっていた。
新宿駅構内では、学生がヘルメットを被り、
2Mもあるゲバ棒を、警官の警棒と機動隊の盾に向って振り回していた。
なんとも活気のある時代は、高度経済成長一直線。
どこからか藤圭子の 「♪私の人生暗かった〜〜」 と流れて来るし、
ジャズ、マンボ、モダンジャズ、ロック、シャンソン、浪曲、尺八と、
ごった煮大衆食堂。
皆皆ミーンナ時の流れが何となく通い合う間柄だった。
つい先日、中国の北京で、
APEC(環太平洋経済会議)が開かれた。
参加国は、アメリカのオバマ大統領をはじめ各国の代表が、その国の国旗を背景に習近平主席と握手を交わしていた。
そして日本の番になると、
日本の国旗を意識的に外した所で、
安倍首相が型通りの挨拶を述べると、
習近平は通訳の話も聞かず、
顔も合わせないままプイと横を向いてしまった。
国際会議でのこの無礼非礼。
バカヤローテンダ
結局この国は王朝時代の朝貢の姿勢を崩してないのだ。
輩は知らないのだ。
日本人の懐に呑み込まれているのを。
どんな隙間風が吹き込もうとビクともしない。
どんなにギリギリわめいても、ビクともしない。
どんなに唐草模様の大風呂敷を広げようとそれをも飲み込んでしまう。
あの東日本大震災の未曾有の大津波が襲ってきても、
日本人全員、息を殺して飲み落としてしまう。
だが一つ、文明は飲めなかった。
日本人は知っていたのだ。
ジンギスカンの大軍に滅ぼされた地域・国を。
それは廃墟と化し、絶滅を意味していた。
従って欧州の文明が襲って来た時、
あらん限りの刃を持って戦ったが、
新たな最後の下手人、アメリカの攻撃に際し、
天皇の配下、日本人は、北海道から沖縄まで、黙って腹をかっさばいて、終わりとしたのだ。
その時日本は、対抗するだけの文明を持ち合わせていたのだが、
両文明を相対的に比べる事が出来なかった。
つまり自国の文明の時間と空間を、推し測れぬ思索がそこにあったのだ。
それは鎖国から来る唯一の狭量と云えなくもないが、
けして見劣りのしない文明があったのを見落としてしまったのだ。
こうと理解したのは、インドのハンピに旅してる時だった。
1985年頃・・・・
チョット センキョダヨ
ナニイッテンダヨ
・・・・
ダカラ シボルンダヨ
ジセダイノトウ レッセイラシイヨ
・・・ つづく
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