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抜殻船   2024/08/30



深夜、日本列島の みーんなが、スヤスヤと熟睡中、

抜殻船は ガシッ ガシッ ガシッ ガシッ

鈍い箍(たが)が外れる重い音を響かせながら、

離島となりました。

しずかにしずかに、波立てないよう 

シーシーとリリク リリクする抜殻船。



今回は、北極海回りでロシアに行き、
ヨーロッパに行き、大西洋に出て、

地中海を通ってスエズ運河を通過し、インド洋に出てぶらりぶらり。

南シナ海、東シナ海を通ってきて、

深夜ゆっくりと ゆっくりと列島に帰艦 被さる予定である。

道中難破船にならぬよう、十分 気をつけよう。





船首付近の北方四島を想う時、今から10年も前の頃、

北海道のアイヌを取り上げたのは、当時政府が日本は単一民族

との見解を主張していたので、それは違う、アイヌがいる。

アイヌ民族がいる以上、

単一民族と決めるのは、無理があるのではないかと、

提起した所、実際は反社会集団がアイヌ問題を、

差別問題にすり替え、

反社集団による国からの補助金目当ての

ユスリ、タカリ政策と方向転換されたのが、実際の事実である。





ところが、私が目指したのは領土問題であって、

それは 第二次世界大戦後、

60年も前から、北方四島(クナシリ・エトロフ・ハボマイ・シコタン)

にこだわってきた日本政府の、あまりの狭量政策に、

一石を投じたかったのである。



その真意は、

日露戦争の戦勝国としての賠償問題に関し、

あの当時、日本は樺太(カラフト)領有を主張すべき所を、

外務省は何の手立ても講じず、怠慢。

ダンマリをキメコンダ結果であった。





従ってアイヌ問題を辿れば、樺太に行き着き、(アイヌの故郷は樺太)

そこから、間宮林蔵の偉業へと向かう筈だったが、

現れたのは、アイヌ問題にからめた、国からの補助金目当ての

反日無罪人の面々であった。



日本政府は国際問題にぶつかると、

何でも概ね小さく小さく引いて、

穏やかに穏やかにと、穏便に済まそうとする。(地引網政策)

これが日本の外務省の姿勢に他ならない。





およそ独立国であれば、

どんな小さな国であっても外務省にあたる窓口が必ずある。

そこはその国の人々の特性、生い立ちが歴史となり、

文化となって、その国に育み誇りとなって、

その国の民族に根付いていく。



と同時に、その地域と国が生み出した、

土着の人々が、同じ言語で理解し合うと、そこに国境が生まれ、

国家が構成されていく。

すると当然そこから、防衛意識が育っていく。

従って外務省とは、国家にとって、とても重要な責任ある窓口なのである。





北方四島問題から、樺太領有問題に拡大解釈すれば、

日露戦争が当然浮かび上がる。

当時、樺太から北海道にかけての小さな島々を含めて、

全島日本人が居住地として占拠していた。

そこでは、漁業及びクマ・エゾシカ・イタチ等の狩猟鳥獣で、

生計を立てていたのだから、当然日本国有の領土として、

ましてや対ロシア戦勝国として、

カラフトを占有宣言するべき所を、

外務省の役人は、山に行って栗拾いしてたらしい。





彼らの知識と云ったら、

江戸時代の日本地図には北海道は無いからネ!

ぐらいの感覚で 間宮林蔵 誰ナン! トクル

こんな人材が、2024年の現在も国家の中枢で、ウロチョロしてると、

背筋が寒くなる。





日露戦争が1904〜5年

今から120年前なら、そこから更に42年前、

全くの新緑まぶしい無菌培養国である日本の、

地方街道筋に当たる、神奈川の生麦で、1862年

殿様、島津久光の行列が生麦を通り掛った際、

騎馬にまたがったイギリス人4名が、

一行の行列の前を立ちはだかり、横切ろうとした。

それを認めた護衛の武士達が、

「無礼者め」と抜身の太刀で、4人に切り付けた殺傷事件。





長い時間、鎖国政策を取ってきた日本が、

少しだが門戸を開き始めた頃で、

大部分、白人を見るのが初めての人がせめる時世での出会い頭だった。

外人から見れば、かなりの興味を持って日本と接していたに違いない。





この顛末も、

江戸末期の幕府のだらしない仕切りを見せてくれる。

それは10万ポンドのお金で、決着、シャンシャンと来た。

ここで何故、郷に入ったら郷に従えとの姿勢を、貫き通さなかったのか。

この一点で押し切るべきで、一切妥協を無しとするのが、

日本の取るべき姿であった。

どう見ても非礼無礼は相手にある故、

臆することなく開き直るべき所なのだ。





この当たり前の通告を、イギリスに徹底させなかった事により、

この火種は、薩摩の鹿児島に海戦となって飛び火した。

これも江戸幕府が、イギリスの官僚とうまくやっていれば、

何も起こらなかったのに、

わざわざ事を荒立てる結果となっている。







 1985年の頃、今が2024年だから、39年も前の事実を語る。

私は川崎宮崎台にあるアトリエ桃太郎で仕事をしていた。

それは 1トンもの粘土を積上げて形を作り、

出来上がった造形の形取りをし、

それを基に、そっくり同じ形を石膏で再現させる作業を、

夜中から朝迄やっていた。



ある夜、つけっ放しのラジオが急に騒々しくがなり立てる様に、

まがまがしく語りかけてきた。

じっくり聞きたいのだが、やってる作業が一旦始めると、

片時も休めない連結作業なので、

常に手作業を止められない中で、小さなラジカセのスピーカーから

何やら緊張した口調がずーと続いている。





仕事は気をまったく抜けないが、

単純作業なので、耳を傾けながら聞いていると、

日本海の五島列島沖で、

舟と舟が追いかけっこをしている実況中継のようだった。



アナウンサーは興奮していて、

スピーカーから溢れる言葉は、唾が飛んでくる勢いで、

逃げてます逃げてます。 差は1K程、懸命に逃げてます。

この連呼がもう1時間も続いていて、

現場の緊張は伝わってくるのだが、

情景が深夜の時間帯もあって、よくつかめない。



小型高速船は、脱兎のごとく北に向かってます。 

追尾する警備艇も、全速フルパワー。

真っ黒な海が浮かぶから、月明りもない日本海で、

日本船が一隻の黒船を矢のごとく追いかけている。



船は海上自衛隊か海上保安庁か、定かでないが、

職員が一生懸命、職務の為、

命を投げ出して全うする姿が目に浮かぶ。



あっ 止まりました止まりました どうしたのでしょう、

すでに100Mと縮まってるも、 どうしたのでしょうか。

燃料切れでしょうか、

巡視艇は警戒を保ちながら、ゆっくり近づいてます。



比べると四半分にも満たない小さな舟。

もう20分も全く動かず停止したままです。



もう聞き始めから4時間も経っている。

テレビもやっているかなと、スイッチ入れたかったが、

その間が取れなく、作業が続いた。



黒い小さな舟は波間に揺れ漂っています。

人影は全くありません。

もう小一時間睨み合ています。どうなるのでしょう。 

日本は誰か乗り込むのでしょうか。

それとも強制けん引となるのでしょうか。



4時間も警備艇を振り切った国籍不明船。

よっぽど大きなエンジンを備えているのか何も分かっていません。





このラジオの実況中継は、実際私が聞いたのだから確かにあった。

聞きながら 当時、北の日本海側のどこかで、

日本人が忽然と消える、人さらいがあるとの情報を、

何かのメディアマスコミュニケーションを伝って、

聞いた記憶があった。

そしてこのラジオを聴きながら、コレナンダと思いながら聞いていた。



朝6時過ぎ、仕事も終わってすぐテレビを見たが、

何処もやっていない。

新聞も朝刊は無理でも夕刊は載ってるだろうと、

開いてみると、ここも載ってない。

アレレェー 報道機関はどうなっているのだろう・・・・





多くの日本人が、突然消えてしまう、消息を絶ってしまう。

往来が跡絶える等、薄気味悪く世間に広がっていた。

従ってこの件は、確実に北朝鮮による人さらいに間違いない。

と見ていた。





アナウンサーは停船したせいか少し穏やかになり、

日本乗組員は船を拿捕できるか、相手の船に乗船できるか。

日本の政府外務省と連絡を取っている模様です。

と伝えながら、

睨み合いが続いてます。

と何度も言い続けている。



この事実を知りえたのは、

流しっぱなしの音楽番組に突然飛び込んできた、

ゲリラ放送であった。

その内容は生々しい、拉致実況中継放送で、

正に驚くべき事実の生放送に、たまたま立ち会ったのである。



そうこうしながら日が昇ってくると、

テレビ、ラジオ、新聞、あらゆる報道機関が、

何処もこの重大な事件を取り上げない。

どうして、なぜ、なにゆえに日本人が深夜の日本海で、命を晒しているのか、

誰も、どの公共機関も、この深夜のラジオに手を差し伸べていない。

驚くほど日本メディアの後進性を見せつけてくれた。



推測

日本政府はガソリンを無償で渡し、

北朝鮮との国境海洋線まで、無事誘導開放したものと見なされる。





こんな馬鹿馬鹿しい事が、白昼堂々とまかり通る日本。

敵に塩を送る行為を一度ならず、数百回 懲りる事なく続けた、その総数は、

西暦2000年の時点で、実に700と

巷のメディアが語られているのを聞いた事がある。





夥しい数字を記憶にとどめていたのは、

2002年、日朝拉致問題に関し、

当時の小泉総理と安倍副総理が、直接北朝鮮の平壌(ピョンヤン)に出向き、

党首の金正日書記と話し合い交渉が行われた。

この会談模様を、私はバンコックのカオサンで、

SONYの短波ラジオで必死に聞いていた。



それは受信状態が悪い葉書大のラジオだったが、

スピーカーに耳を押し当て聞いていた。




この短波ラジオの性能だが、21世紀に入って、

急に受信状態が悪くなった。

直接関係のない事だが、

今世紀に入って24年目に入るが、

4分の1世紀を経過した時点で、一時 振り返ると、



日本の突き進む進路を、反日無罪勢力が、

示威的に立ち塞がって来たフシを、多々見かける。

この問題は、別の課目として取り上げる予定だが、

日本の主要産業を貶める

三菱・東芝・三洋・シャープ、現在は巨大メーカー トヨタを、

国を上げてあおっている。



その中にこの海外で聞くラジオに於ける短波電波の劣化問題も、

その事実として、取り上げてみた。








栗拾いしているお兄さん。

両足の履き物でイガイガをかき分け、直接生栗をほおばっても美味しいよ。

薄い皮は丹念にむかないと、渋くて食べられない。

食感は硬くて歯触りが気持ちイイ。

この甘味は何処にもなくて、例えようがないのでありました。







この男の実況アナウンサー、

迫真に満ちていて、実に迫力があった。

人の命を助けようとする言葉に力が籠って、

限りなく絶叫に近かった。

職務とはいえ、同時に使命感に燃えていて、さわやかだった。





TVはもうダメ、死んでいる。

新聞もすでに死んでいて、各社戦々恐々としている。

もしかすると、ラジオに新しいダークホースの可能性



           アルント! アルトン!




外務省もダメ、死んでるトーニ死んでる。

大蔵省も長い間その名で聞き慣れていたが、財務省に名前一新した。

同じく外務省も、この際名前もスタッフも全部、変えるがいい。

今の日本、この辺りから根こそぎ植え伐え時と見る。





第二次世界大戦は、

日本がアメリカハワイの真珠湾奇襲攻撃で始まったが、

この時日本大使館職員は、アメリカ側に宣戦布告を告げなかった。

これはすでに外務省が、アメリカに陥落されていた故の愚行であって、

その後のアメリカの日本に対する嘲りを見れば、余り有る。



こう見るのは、宣戦布告とは当事国にとって最も重要な布告であって、

守るべき重要な約束事であった。 であるのに、大使館職員は、

前日に知り合いの結婚パーティーに呼ばれ、多量に酒を飲み、翌朝

不覚をとった、当日の日本政府発行の開戦通知書を、

合戦前のアメリカ大使館に届ける重要な使命を、数時間忘却。 

よって我に返り小一時間遅れて届けた時は、

既に日本海軍機が、真珠湾に居並ぶアメリカ戦艦群への

魚雷攻撃ボタンが押された後だった。

だが、パールハーバーに常駐する航空母艦が数隻見当たらなかった。

この辺り、この時をアメリカは事前に察知していたのであろう。





そして、1945年以降この国家的怠慢を聞かされ、現在に至るが、

1970年頃、この日本大使館員の不始末を、

私は疑いを持って眺めていた。



当時の最重要任務である開戦通知書を、遅配した外務省職員。

知り合いの結婚式酒宴の席での愚行と言われているが、

大使館職員と聞けば、人選上多くの学業試験を経験し、

難関難問をクリアした人と知る。

そのような優秀で品行方正な人が、

この任務の重要性を認識出来ない筈が無い。

国の一級業務を、おろそかに出来る筈が無い。

そこに酒が入るが、事の重要性を鑑み、

微塵の隙間も無い時間と空間の中に、宴を押し込むなんてこと事態。

奇想天外であるから、これは茶番とみる。



つまり

意図的に通達を遅らせるよう仕組まれた、謀略だったのである。

既に外務省は、この時アメリカのスパイに操られ、

侵されていたと見るのが自然であろう。



    アメリカ ノ フコクハ イツダッタノダー



戦後、大使館及び外務省は、この件に関し、

どのような見解を示したか知る由もないが

当時者はどうみても国賊である以外何者でもない。

以後、アメリカ国内に於いて、この日本大使館員の行為は、

計り知れぬ程、米軍の戦意高揚及び、日本軍への貶めとして、

最大限利用され終戦まで続いた。



その間、この問題児である外務省職員は終戦後も、

省内で何の咎めも受けず、順調に歩んだと聞いている。





10年も前になるか、民主党が政権獲った時、

党首の菅直人は沖縄の尖閣諸島に、

中国漁船を呼び込んだが、

外務省も率先して追従し、その後の船長とその漁船を鮮やかに

取り仕切った。

この時間帯に於ける日本政府の売国行為は、

時間が経過しても、多くの人々にそれこそ鮮やかに鮮明に、

記憶の1ページとして植え込まれている。





ですから外務省という所は、

江戸末期の開国生麦事件の交渉に携わった、

幕府のバカ家老から始まって、 

アメリカ大使館への日米開戦通告大チョンボ、及び菅直人の、

中国漁船誘導総理として、一直線に繋がっているのであります。

この男の特徴はとにかく身が軽いこと。

得意技はジャンプとアナフラシキー性泡吹き。

アワワワーと目をムクのは武器。





それを見たのは、2011.3.11 東北大地震。

あの時、巨大津波によって、

地下に設置してあった原子力発電所の電気系統が水浸しになり、

よって原子炉の冷却水が、送水出来なくなり、

核爆発の恐れが発生した。



この処理をめぐり、菅直人は東京電力と一刻を争う時だったが、

バッテリー電源供給能力8時間限定の事など、どうでもよく

アワワ 
アワワとアワを吹きながら、

東京電力窓口社員と、口喧嘩に没頭していた。



福島市内、向う幹線道路・高速道路は、

逃げる人々で、埋め尽くされてる。



この時アメリカ政府は、この地域から在住アメリカ人全員一斉に、

避難帰国命令が下され、そのため各空港の飛行場では、

パニックだったと聞いている。



地元の消防署では、職員全員が命懸けで、消火に当たり、

やはりパニックを必死に耐えながら、

成すべき事をやり遂げていたのです。





新幹線は止まっている。

どうやって、誰が補給バッテリーを運ぶか。

核爆発が身近に迫っている、この状況を知った国民(大人)は誰もが、

ソビエト時代の、チェルノブイリ原発爆発を、思い描いていただろう。



一時の猶予もならぬ事態に陥っていた。

私は国を挙げて、補強バッテリーを慌てて運んでいる様子が、

目に浮かんだ。



だが、この事態は管理運営上見方を変えるべき、と考えていた。

核施設のスタッフは通常運転には強いが、

一大危機には向かないと思った。



つまり、車の運転試験場では、

法規と構造の学科試験が必ずあった。

そこで、福島原発の職員は、運転と法規には強いが、

構造には完全なるエキスパートは不在と踏んだ。



即ち、ハードに強い人材は、東芝・日立・三菱等、

及び大学研究所からスペシャリストを摘出、選出し、

即、ヘリで重装備バッテリーと共に、現場に直送し事に当たらせれば、

最善の道が開かれると思い描いたが、



現実はあの男が、

東京電力職員と、事態の対策を巡ってその窓口で、

口角泡を飛ばしながら、アワワワーー

と、目玉をムキムキ、俺は大学理科系卒主席だー。主席だー。



この男の脳内には、8時間の猶予は クルクル クルテンパー

こんな男が、国家中枢でアワワワーーと、

直立不動の姿を晒し続けたのであります。

だが、リアルはムキムキ、アワワワーー

8時間の時間の猶予は、一刻もならぬ、

待ったなしの状況の中、目論み道理に事が進むとして、

エキスパート達は、未然にメルトダウンを防いだかも知れないのだ。





地元の消防署では、

ウラニウム溶融が起こった一触即発の原子力発電所を、

隊員が命懸けで消火に当たり、

やはり、パニックを必死に耐えながら、

なすべき事をやり遂げていたのです。





こうした中、アワワ総理は全国から高性能の消防車を、

発電所内に集結させ、その性能をまじかに迫る原子炉へ、

一台一台の放水性能を見比べる放水ショーとして、

実際にテレビが、中継放送してるのを見た。

フレー! フレー!と、

白地に赤丸の扇子を、高らかに振っているのでありました。



「次に現れた東京消防署自慢の最新消防車の番です。」

と紹介し、放水が始まりました。

「すごい勢いです」

と地上からのホースの噴出を映している。

ところが、原子炉建物の屋根は高く、次々と現れる消防車が放水するも、

どれも到達していない。



その様子を順番に5〜6台現れては消えての形式で本当にテレビ放送していた。

国が経験した事ない未曾有の一大事に直面しているのに、

のんきな番組もあるもんだと、興味を持って見ていると、

「来ました来ました最強の消防車が到着しました。」

ハシゴがスルスルと屋根に向かって伸びていて、

日本の消防車を、機能不全呼ばわりしながら、

テレビ画面隅にハングル文字の入った上昇するハシゴを、

映しているのでありました。



片やメルトダウン現場では、消防士が命をさらし、

未知の領域に足を踏み入れてる時に、

外では消防車の放水性能実験ショーをやっている。



国が絶体絶命のピンチに捕われてるの、横目で見ながら、

やってることは、焼け石に水。

正に日本直視の現場中継生放送TV



     
シンコッチョウ



その夜テレビは、原発内のメルトダウン消火作業、

従事してきたスタッフをテレビ局内に呼び、

インタビューを試みた。



其の20名ばかり皆、極限の環境の中まさに命を賭けてきたそのままに、

何とか平静を保ってる状態。

そこへ、アナウンサーの事態を逆なでする言質。

無言の隊員が見せる表情は、日本人の

仕事をやりきる意志、頑強な精神を見せてくれるのであった。







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